2012年、今年読んだ知的向上心をかきたてる本5冊

 2010年、今年読んだ知的向上心をかきたてる本5冊 - Cask Strength2011年、今年読んだ知的向上心をかきたてる本5冊 - Cask Strength に続いて3年目の企画。特定の分野に偏らないように配慮しているつもりではありますけど、もうお気づきの通り、人文系が中心になってしまうのはひとえに私の能力不足です。また、例のように、論文集のような学術専門書もなるべく選ばないようにしました。『中世天照大神信仰の研究』や『大和古寺の研究』、『中世文華論集』といった辺りが入ってないではないか!とか怒らないでね。
 それはそうと、巷に溢れている「一年に〇〇〇冊読んだオレがオススメする今年の〇冊」みたいな記事が気になるのですけど、一日に何冊も読めるような本(漫画とか画集ならそういうこともあるでしょうけど)のなかで、真に薦めることができる本ってあるのかなぁ・・・?

贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)

贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)

 新書のなかでは本書が一番面白かった。中世日本で異常に発達した贈与・返礼のシステムの紹介を通じて、この時代の経済と儀礼の特異性をあぶりだす。贈与という行為が租税や商品の売買といったものに極めて接近しながらも、かろうじて一線を超えないところで贈答儀礼たることを守ったということ、そして、「虚礼」が行き着くところまで行き着いた結果、贈与品が流用されたり(かつての所有者に贈ることもあった)、実際に物品をやりとりせず「目録」(折紙)の交換だけで贈与・返礼が成立したとされたこと、等々の驚くべき中世的慣行が生き生きと描かれています。
 ところで、本書でも二箇所言及されているブローデルの三層構造(はじめにv頁、219頁)は、今野真二氏『百年前の日本語』(岩波新書、2012年)でも間接的に言及されていて(192頁)、失念してしまったのですが、あともう一冊やはり地中海世界に関わらない話題でブローデルの名を挙げている書籍がありました。ブローデルの著作は一度は必ず読んでみたいのですけど、時間あるかな。

 2009年に中公新書刊行数が2000点を超えた際に『中公新書の森』という、やはり非売品の小冊子をもらったことがありますが、あれはたしかアンケートとエッセイで構成されていたものでした。本書も冒頭に3篇のエッセイがありますが、中心になるのは総目録とその解説と索引の部分です。これが非常に便利というか、目を通しているといろいろな発見があって楽しい。
 それにしても、目録を通覧して感慨深いのは、品切れのものがいかに多いかということです。60年代、70年代の著作は品切れ状態がほとんどですし、2000年代でも目立ちます。その後の研究の進展で概説書・入門書としての役割を終えたものもあるのは事実でしょうけど・・・。
 @xuetui先生(http://twitter.com/xuetui)が以前紹介してくださった吉川忠夫氏『侯景の乱始末記』(357)はもとより、研究史的には重要な宮崎市定氏『謎の七支刀』(703)も品切れですし、日本古代史研究と小説を融合させたような異色の関和彦氏『古代農民忍羽を訪ねて』(1449)も新刊では買えません。本は買える時に買わないとだめですね。

  • 『古語大鑑 第一巻』

古語大鑑 第1巻: あ〜お

古語大鑑 第1巻: あ〜お

 もちろん、通読したわけではありませんがw
 今後は、ア行の言葉を調べようとする人に対して、『日本国語大辞典』等と一緒に「『古語大鑑』は引いたか?」と訊くのが合言葉になるでしょう。記念すべき大事業の端緒が開かれたことを大いに喜びたい。日国の初出例もだいぶ訂正されることでしょう。『時代別国語大辞典』の平安時代編がない今、本書がそのかわりともなる。どこかの書評でも指摘されていた通り(今見つかりません。すいません*1)、たしかに歌語的なことばが冷遇されている気もしますが、それはさておき。
 どの語も用例文や「補説」とあわせて味読すべきで、一例、「あしかび」(43頁)。ちゃんと「(中世以後「あしがひ」とも)」と指摘するのがミソで、このことに触れる古語辞典はそんなに多くないと思います。しかも、「あしがひ」とよむ実例も忘れずに挙げています*2
 また、掲出語を歴史的仮名遣いではなくて現代仮名遣いで表記したことも特色の一つです。用例文も勝手に歴史的仮名遣いに変えていない。某クラスタにとっては大いに不満があるでしょうけど、古典作品を校訂文ではなくて写本等で見る側からすればこれは当然の処置といえます。歴史的仮名遣いの通りに書いてある本なんてほとんどないのですから。
 目下最大の不安は、築島裕氏のご逝去(昨年4月)で、これが本当に継続・完結するのかどうか、ということです・・・

「瓢鮎図」の謎―国宝再読ひょうたんなまずをめぐって (ウェッジ選書)

「瓢鮎図」の謎―国宝再読ひょうたんなまずをめぐって (ウェッジ選書)

 日本美術研究者は絵ばかり見て画賛を読んでいないからダメなんだ、という手厳しい批判で知られる芳澤勝弘氏が国宝「瓢鮎図」の画賛を丁寧に読み解きます。それぞれの賛について鮮明な写真を用いているのも嬉しい。
 「序」に出てくる、「新様」を描かせたという「新様」は、従来、新しい画題・絵画様式を意味するとされてきたのを、芳澤氏はこの「新様」とは新しい禅的テーマを指すのであって、瓢箪でなまずをおさえられるかという「新式の創作公案」(52頁)のことだとします。
 絵ではなくて、漢字で書かれた賛の研究がメインですから面食らった読者も多かったでしょうけど、上の立場からすれば賛についてもっと真剣に取り組まなくてはいけないのは間違いありません。芳澤氏も言及されている『禅林画賛』(毎日新聞社、1987年)の上にいつまでもあぐらをかいているべきではないでしょう。
 余談ですが、賛詩に頻出する「葫蘆」という漢語に関しては、小島憲之氏『ことばの重み』(講談社学術文庫、2011年。もと1984年)第八章「葫蘆」に取り上げられていますので、ご参照ください。

  • 『江戸の読書会』

江戸の読書会 (平凡社選書)

江戸の読書会 (平凡社選書)

 私くらいの世代にとっては『漫画日本の歴史』シリーズの影響力が強いので、話が通じるはずだと思うのですが、杉田玄白たちが『解体新書』の翻訳をしていて「オランダ語のある単語が『鼻』についても『木の枝を切った跡』についても言っているけど、どういう意味だ」みたいな話になり、メンバーの一人が「何かが堆くなるって意味じゃね?」と提案して疑問が氷解するという、漫画のあの有名なシーンを思い出してくだされば、それがまさに「江戸の読書会」(会読)の様子ということになります(本書でもこの場面は117〜119頁で取り上げられています)。あのような読書会が蘭学だけでなく多くの学問分野で行なわれ、しかもかなり広い裾野を持っていたらしい。
 討論においては身分差は関係なく、参加者は対等の立場で意見を述べ、しかも「恥ずかしがって意見を出さないことが非難された」(105頁)この精神が学部生の授業でもほしいと感じている大学教員は多いかもしれません。
 なお、本書の性格からしても、やはり「書名索引」があるといいかなー、という気もしました。
 参考までに、「段階別の学習テキスト」の一節。

前橋藩の博喩堂の場合、句読(素読)の書目は、先に見たように、小学・四書・五経であるが、講解(講釈)の書目は小学(本注)、四書(章句・集註)、近思録、詩経(集伝)、易経(本義)、孝経(刊誤)、太極図説、通書、西銘、白鹿洞書院掲示、文公家礼とあり、素読段階で暗誦した四書・五経朱子学の注釈をもとに講釈を受けることになる。さらに、輪講(講ずる会読)の書目は、春秋(胡伝)、春秋左氏伝(杜註)、礼記(集説)、易学啓蒙、蒙求であり、会読(読む会読)の書目は、三礼(鄭注)、儀礼経伝通解、大戴礼、春秋(公羊伝・穀梁伝)、孔子家語、国語、史記前漢書、後漢書三国志、通鑑綱目、唐鑑、貞観政要宋名臣言行録、伊洛淵源録、周程張朱之書、大学衍義、大学衍義補、文章軌範である

(49〜50頁)

*1:【追記】奥田勲氏による書評(『UP』2012年5月号)でした。



@viewfromnowhereさま、どうもありがとうございました。

*2:追記:あしがひの如く萌え騰る - Cask Strength