続・万葉集(衆)議員、橘慶一郎氏

 富山三区選出の橘慶一郎議員を紹介したのが、一年前の今頃でしたね(万葉集(衆)議員、橘慶一郎氏 - Cask Strength)。今年に入って本会議でも質問に立つなど、御活躍のようでなによりです。
 ところで、今でも委員会の質問に際して万葉歌を披露なさっているのだろうかと思い、議事録を検索したところ(国会会議録検索システム)、すっかり慣例となっているようですね。

 一時間の質問時間をいただきまして、ちょっとお昼にかかるわけでありますが、委員の皆様方には御協力をいただきながら、きょうは、過日の大臣所信のお話につきまして、三項目にわたり御質問をさせていただきたい、このように思います。
 冒頭は万葉集で始めたいと思いますが、片山大臣とお話をするならこの歌しかないという、やはり鳥取県因幡の歌しかないでしょう。季節はちょっとずれましたけれども、ことしは大雪でしたのでこの歌でよろしいか、このように思います。
 巻二十、四千五百十六番、万葉集最後の歌でありまして、天平宝字三年、七五九年の正月一日に、因幡の国庁で国司大伴家持が、昔の鳥取県知事であった大伴家持が詠まれた歌であります。
  新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)
 どうもありがとうございました。(拍手)

 長くなるばかりなので、以下、どの歌を紹介したのか、歌番号と歌だけを紹介します。なお、歌の表記は議事録の原文ママです。このことでちょっと興味深いことがあるので、それは後述します。

  • 1424「春の野にすみれ摘みにと来し我れぞ野をなつかしみ一夜寝にける」(平成23年02月25日)
  • 54「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」(同日)
  • 4017「あゆの風いたく吹くらし奈呉の海人の釣する小舟(をぶね)漕ぎ隠る見ゆ」(平成23年03月08日)
  • 4151「今日のためと思ひて標めしあしひきの峰(を)の上の桜かく咲きにけり」(平成23年04月19日)
  • 1870「春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも」(平成23年04月21日)
  • 1440「春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ」(平成23年04月22日)
  • 15「海神(わたつみ)の豊旗雲に入日さし今夜(こよひ)の月夜(つくよ)あきらけくこそ」(平成23年04月27日)
  • 1976「卯の花の咲き散る岡ゆほととぎす鳴きてさ渡る君は聞きつや」(平成23年05月13日)
  • 330「藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君」(平成23年05月20日
  • 4042「藤波の咲きゆく見ればほととぎす鳴くべき時に近づきにけり」(平成23年05月24日)
  • 1106「かはづ鳴く清き川原を今日見てはいつか越え来て見つつ偲はむ」(平成23年05月27日)
  • 4158「年のはに鮎し走らば辟田川 鵜八つ潜(かづ)けて川瀬尋ねむ」(平成23年06月16日)
  • 1494「夏山の木末(こぬれ)の茂にほととぎす鳴き響(とよ)むなる声の遥けさ」(平成23年07月14日)
  • 4114「なでしこが花見るごとに娘子らが笑まひのにほひ思ほゆるかも」(平成23年07月27日)
  • 1496「我がにはのなでしこの花盛りなり手折りて一目見せむ子もがも」(平成23年08月09日)
  • 2103「秋風は涼しくなりぬ馬並めていざ野に行かな萩の花見に」(平成23年10月25日)
  • 3238「逢坂をうち出でて見れば近江の海白木綿花に波立ちわたる」(平成23年10月27日)
  • 1590「十月しぐれにあへる黄葉の吹かば散りなむ風のまにまに」(平成23年11月22日)
  • 2196「しぐれの雨間なくし降れば真木の葉も争ひかねて色づきにけり」(平成23年11月30日)
  • 64「葦辺行く鴨の羽交ひに霜降りて寒き夕は大和し思ほゆ」(平成23年12月01日)
  • 2318「夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり」(平成23年12月06日)
  • 3925「新しき年の初めに豊の年しるすとならし雪の降れるは」(平成24年02月03日)



 御承知の通り、万葉集は全て漢字で書かれています。4042歌のように「敷治奈美能佐伎由久見礼婆保等登芸須奈久倍吉登伎尓知可豆伎尓家里」と全て仮名であれば、これを「ふぢなみのさきゆくみればほととぎすなくべきときにちかづきにけり」とよむことに問題はないでしょう。
 しかし、たとえば15歌は原文ではどうなっているかというと、「渡津海乃豊旗雲尓伊理比紗之今夜乃月夜清明己曽」。最初の方はとりあえず問題なくよめそうです(実は第三句には本文上の問題があります)が、最後の第五句にあたる部分の「清明己曽」はどうよむか。というか、みなさまがお持ちの万葉集の本ではどうよんでいますか。
 橘議員は「あきらけくこそ」とよんでいますね。しかし、普通の人が持っている万葉集の注釈書や解説書では、そうはよんでいないはず。「さやけかりこそ」とか「きよくあけこそ」とか「さやにてりこそ」等々になっているのでは?
 実は、この「清明」をどうよむべきかは諸説紛々として未だに決着がついていないのです。詳細は澤瀉久孝「『清明』攷」(中公文庫『萬葉古径 一』所収)等に譲りますが、「あきらけくこそ」は賀茂真淵『万葉考』が言いだした説で、戦前の割と古い注釈書で一般的に採用されてきた訓であることがわかります。しかし、戦後に語法研究等が進展し、「あきらけくこそ」説に対して疑問が投げかけられるようになり、現在の標準的な注釈書で「あきらけくこそ」を採用しているものはほとんどありません。
 もう一首、細かいところで問題になる歌もあります。1424。非常に有名な歌ですね。これの第三句を原文で示すと「来師吾曽」、「曽」は原則として清音の仮名なので「来し我そ」とする本が近年は多いはずです。しかし、これもまた古い注釈書を中心として、「来し我ぞ」と濁音でよむものも多い(最近では伊藤博氏が「ぞ」とよんでいます)。
 とすると、橘議員は万葉集をどのテクストによって読んでいるのだろうか――ということが(昨年同様)気になるわけです。まあ、ご本人に訊けばすぐに解決することではありますが。たとえば、入門書として今なお高い人気を誇っている斎藤茂吉『万葉秀歌』は「あきらけくこそ」「こしわれぞ」とよんでいる(上巻18〜23頁、下巻5〜7頁)ので、ひょっとしたらそれか、とも思ったのですが、橘議員は本書に収録されていない歌も多く紹介していらっしゃいます。あるいは、手頃なところで文庫本を利用している可能性もあって、これもいまだに版を重ねている佐佐木信綱『新訂 新訓 万葉集』が、やはり「あきらけくこそ」「こしわれぞ」(上巻47、327頁)なのですよね。しかし、評釈や現代語訳がついていない本を一般人が果たして使うだろうか。