この日に思う

 またこの日が来た。いろいろ思うことはあっても毎年慰霊にだけ専念することにしてきました。
 しかし、今年は二つほど述べておきたい感慨があるな。
 トルーマン大統領の孫にあたるクリフトン・トルーマン・ダニエル氏が来日された。メディアでの報道を読む限り、立派な志をお持ちの紳士と見受けられました。しかし、そのような方ですら、来日を決心する前は、

ダニエルさんは広島と長崎を訪問したい気持ちがあったが「被爆者や遺族から非難される。私は行くべきでない」と考えていたという。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0400W_U2A800C1CC0000/

 だとすれば、あの忌まわしい作戦に直接・間接に関わった人たちの親族・子孫で同じことを考えている方々は少なくないでしょう。
 原爆投下に何も関与していない民間人に責任を負わせる遺族や被爆者などいるものか。もし、祖父が存命であれば、そのような横暴な言いがかりからダニエル氏その他を守ったであろう。筋を通す人だったから。
 過去の悲しみを共有できるか、未来の目標を共有できるか、一個人としての意志こそが一番大事なのではないか。
 だから、帰国後のダニエル氏にしてもらいたいのは、関係者や米国民への呼びかけだ。心ある人は勇気を持って広島に行こう、あの日何が起こったのか学ぼう、と。
 感慨その二。こちらは割と憂鬱。
 核兵器廃絶を目指すという主張は尊いものです。脱原発も、こちらはいろいろと議論されていますけど、一つの有力な意見と認められます。しかし、この二つは(全く無関係ではないですけど)別の問題ですよね。
 集中すべき課題があるのに、問題意識が拡散されることで、逆に広範な支持を失いかねないのではないか。つまり、議論の余地のある意見に一方的に与することは、political advantage に利用されてしまうことはあっても、自分たちに益するものはないのではないか、と危惧しているのです。