福紙(えびす紙)

 先日購入した新刊書に福紙があったよ。



 昔はたまに(特に中文書とかに)あったのですけど、最近は製本技術の進歩もあってほとんど見かけなくなっていただけに嬉しいですね。良いことあるといいな。

この書評を読んだだけで、『本屋通いのビタミン剤』の紹介は、終わってしまったようなものなので、以下は脇道である。
こんな話があった。

 見た人がいるだろうか? 本をめくっていると頁の一部が内側に折れていて、その部分を開くとその紙が本からはみ出してしまうのを。読者によっては、これは完全な本ではないから取換えて欲しいと本屋さんに持ってこられる人がいるが、とんでもない。これは福紙と言って、この本を手にすることは縁起のよいことなのである。紙が中に入っている。紙は神であろうか? 製本・印刷技術の進んだ現在は、こうしたミスが少ない。福紙とめぐり会える幸福な人はナン人もいないのである。

http://www.1096.jp/archives/2005/07/post_56.html

3 えびす紙

「紙を重ねて裁つ時、角が折れ込んで裁ち残しになったもの。」(日本国語大辞典)を「えびす紙」と言います。寛永十年(1633)刊の『誹諧発句帳』(春)に、

書き初めやまづ心よきえびす紙 宗壽

という句があり、江戸初期にはあった語です。この語源について、『日本国語大辞典』にいろいろな語源説があげてありますが、喜多村信節の文政十三年(1830)序の考証随筆『嬉遊笑覧』(八)や天保十一年(1840)刊の山崎美成の随筆『三養雑記』(一)などには、陰暦十月にあらゆる神は出雲大社に集まるが、恵比須だけは十月二十日の恵比須講があるので行かない、つまり「神の立ち残り(または「立ち損ない」)」で、「紙の裁ち残り」と同音であると説明しています。大田南畝の随筆『一話一言』には、その紙を斜めにすると恵比寿の烏帽子をかぶった姿が見えるからという別の説もあげてありますが、それではしゃれになりません。

http://www.nikkoku.net/ezine/asobi/asb14_02.html

 ちなみに本はこちら↓