馬を長城の窟に飲ふ(小杉放菴「飲馬」) 

 日光市は、市出身の画家・小杉放菴(一八八一〜一九六四年)の初期の代表作「飲馬(いんば)」を、神奈川県の個人所有者から購入した。購入額は千八百五十八万五千円で、市の絵画の購入額としては過去最高。小杉放菴記念日光美術館(同市山内)で二十五日まで展示している。
 「飲馬」は、一九一四年に日本美術院が主催した再興院展第一回展に出品された油彩画で、縦七十四センチ、横百五十センチ。中国・万里の長城を築城するときの苦役をうたった漢詩「飲馬長城窟行」が題材とされ、水を飲む馬を、座りながらじっと見詰める半裸の少年の姿を描いている。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20130802/CK2013080202000173.html

 詩題が「○○行」となっているものはいわゆる「楽府」(がふ)の作品で、後世に新作されたものもありますが、たいていは古いオリジナルの歌詞(「古辞」)があって、それに対して同じ題で替え歌を作るということが特に南北朝時代に盛んでした。「飲馬長城窟行」(「飲馬行」とも。「飲」は古語に「みづかふ」)はその古辞が『文選』にも『玉台新詠』(ただし作者を蔡邕とする)にも採られていて、遠地(万里の長城?)にいる夫を思いやる妻の切なさを詠んだ、非常に有名な歌です。『楽府詩集』の巻38には、その替え歌が16首収録されています。替え歌といっても、王僧虔『伎録』によると「飲馬行、今不歌」(『古今楽録』)なので、当時すでにメロディーは失われていたようですが。

(中津浜渉『楽府詩集の研究』、268頁)
 魏の文帝(曹丕)の作品は終始勇ましい軍歌の調子ですし、陳の後主の「征馬入他郷、山花此夜光、離群嘶向影、因風屡動香」などは、いかにも亡国の君主その人らしいなよなよとした表現ですね。
 ただ、「万里の長城を築城するときの苦役をうたった」というのが主題としてはっきりと明示されているのは、実は古辞ではなくて、魏の陳琳によるものです。全編暗澹とした気分に覆われていて、人々の呻き声が聞こえてくるような迫力があります。小杉放菴はどの作品に直接的にインスピレーションを受けたのでしょうか。