菖蒲に八橋(1)

むかし、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとて、行きけり。もとより友とする人ひとりふたりして、行きけり。道知れる人もなくて、まどひ行きけり。三河の国、八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋といひけるは、水行く河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木の蔭におりゐて、乾飯食ひけり。その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて、旅の心をよめ」と言ひければ、よめる、
  からころも着つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙おとして、ほとびにけり。

(『伊勢物語』第九段)
 なぜ花札では「杜若に八橋」ではなく「菖蒲に八橋」と呼ぶのかは、「あかよろし」に並ぶ花札の謎です。 おそらく、これも博徒のシャレで、「菖蒲」の音読みと「勝負」との掛詞でしょう。「いづれアヤメかカキツバタ」といわれるようによく似ていますが、花の見分け方は比較的容易で、花弁の白い部分が網目(文目=アヤメ)模様になっていたらそれはアヤメ、そうなっていなければカキツバタです。
 ちなみに菖蒲湯のときに使う「菖蒲」(ショウブ)と、いわゆるアヤメ(ハナアヤメ)は、全く別の種なのですが、ショウブのことを古語ではアヤメと呼んでいたので、こちらも混乱を招く土壌は昔からありました。