牡丹に蝶(3)

 荘子が夢のなかで蝶となって飛ぶというのはよく知られた故事で、数多くの文学作品等の題材となったのですが、その典拠である『荘子』(斉物論篇)では、

昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志与。不知周也。俄然覚、則??然周也。不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。

とあり、どこを飛んでいるとは実は明示していません。
 しかし、蝶であれば花の周りを飛ぶであろうというのが常識的な判断でして、

昔荘周ガ片時ノ眠ノ内ニ、胡蝶ト成テ、百年ガ間、花園ニ遊ト見テ、覚思ヘバ暫クノ程ナリ。荘子云ク、「荘周ガ夢ニ胡蝶トナルトヤセン、胡蝶ガ夢ニ荘周ト成トヤセン」ト云リ。

(『沙石集』巻一「和光ノ方便ニヨリテ妄念ヲ止事」)と、花園を舞う蝶の姿が描かれるようになります*1
 そして、その「花」が具体化されると、蝶との取り合わせで牡丹になるわけです。

時平の大臣あざ笑ひ。「夢に魂通ふなどとは女童の俗説。学者の口から言はぬこと。荘子が夢中に無我有の里に遊び。胡蝶と成て牡丹花に戯れしなどは。皆虚誕の寓言とて。仏法に云方便の偽。聖人に夢なし不学者の口ずさみ。事おかしや」と云ければ・・・

(『天神記』)

*1:花園を飛ぶ、というのは『和漢朗詠集』の古注あたりに源泉がありそうです。「荘子曰、荘周夢中成胡蝶久遊花苑。覚乃一旦也」(『和漢朗詠集私注』)。百年飛んでいた、という説も古注によく見られます。「其時、庄周思ク、胡蝶ト成テ、花中ニ百年有リシ事モ、眼前也。」(国会本『和漢朗詠注』)。