不安だらけの神埼市「千字文モニュメント」

市では、「王仁天満宮」と刻まれた石祠に着目し、5世紀の初め百済から日本へ論語千字文を伝えた、古事記日本書紀にも登場する「王仁博士」の歴史遺産(夢資源)として捉え、古代からつながる歴史のロマンを体感できる新たな観光施設として、市民とともに王仁博士顕彰公園の整備計画を推進しています。
当公園内には、王仁博士の功績を顕彰する施設として、「二儀日月」で始まる鍾繇(しょうよう)千字文のモニュメント(965文字の記念碑)を整備しますが、神埼市民はもとより、全国のみなさんにも関心をもっていただくため、一人一文字ずつの揮毫をお願いすることにしています。

http://www.city.kanzaki.saga.jp/main/7853.html

 歴史的事実かどうかもわからないことを公金で顕彰していいのかどうかという不安もさることながら、その中身が「鍾繇千字文」だというのは再考を要するのではないでしょうか。
 「天地玄黄、宇宙洪荒・・・」で始まる梁・周興嗣の『千字文』が応神天皇代に伝来するはずはないので、王仁の『千字文』将来を歴史的事実と認め(たが)る方々によって、これは別の『千字文』だ、とか、『急就篇』等の他の書と混同したものだ、とか、いろいろな議論がなされてきたことは周知の通り。これはただの伝説に過ぎないのですから、周興嗣『千字文』を彫るか(現に、霊岩郡のほうはそのようにしています。http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=2&newsid=9659)、『論語』を彫るか、『古事記』の本文を彫るかが無難だと私などは思うのですが・・・。
 ともあれ、魏・鍾繇の『千字文』というのはその別の『千字文』の候補としてよく知られているものです。これもいろいろなところで解説されているので詳細は省きますが、後述するように、欠陥のある、素性のよくわからない「怪しい」テクストであるとは一言いっておきます。
 百歩譲ってそれらの疑問点に目をつぶったとしても、一つ重大な問題があります。実は鍾繇千字文』とされるものには欠字があり、現存するのは974字に過ぎないのです(参照、尾形裕康『我国における千字文の教育史的研究』71〜77頁)。その点からしても周興嗣『千字文』を用いるべきだと思うのですが、それはともかく「965文字の記念碑」というのですから、文字数に若干の開きがあります。思うに、鍾繇千字文』に見られる8箇所16字の重複文字のうち、いずれか一方を除いた結果ではないでしょうか。それでも、974-8=966と、1文字分の齟齬が生じるわけで、謎は深まるばかりです。続報を俟つ。
 私の推測通り重複文字の片方を除く処理を施したということであれば、たとえば「二儀日月」と「礼儀矜荘」のうち「礼儀矜荘」は「礼矜荘」という本文になるのでしょうか。わけのわからない粗悪な『千字文』の異本を後世に残しても、王仁の顕彰にはなりません。