春・夏の札こぼれ話(3)
- 菖蒲に八橋
業平の「かきつばた」の歌は折句の代表作ということになっていますが、「かきつばた」の五文字を句の末に置いた狂歌、
尋ねしが はなの紫 今はさめつ そのあとみれば みな麦のはた
は諧謔のなかにも今はなき杜若咲き誇る八橋への郷愁が率直に詠まれていて、これもなかなかの出来ばえだと思います。
- 牡丹に蝶
お下屋敷の牡丹畠にはおくれ咲の牡丹がところどころに植えてある。向うの方には舶来の草花らしいのが毒々しい色に咲いて、鉢栽のままいくつも片よせられて居る。今年はひイ様が御病気で、牡丹の盛りにもこちらへおいでが無いので、園は少し荒れたまま手入せずにある。留守居の人一人と門番の爺さん夫婦としか居らんのでお邸の内はしんと静まって、まるで明家のようだ。二つの蝶はここへ来ると案内知り顔にあちらの花こちらの花とうれしそうにうかれていたが、やがて二つは一緒に、くれないの大輪の牡丹の蕊に、羽をかわしてとまった。「くたびれて眠くなった」ト白い蝶は僅に羽を動かしながらいうた声は眠そうであった。「もう寝るの」ト黄な蝶もはや眠りかけている。夕日の影は斜に権現の森を掠めて遠くに聞ゆる入相の鐘はあくびするように響いて来る。牡丹の花びらは少しずつ少しずつつぼまってとうとう二つの蝶を包んでしもうた。
(正岡子規「蝶」)
原文の表記を若干改めたりしていますが、良い叢書です。