日本語の歴史1 民族のことばの誕生
- 作者: 亀井孝,大藤時彦,山田俊雄
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2006/11/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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刊行のことば
日本語――それは民族の深層にあって、民族のエネルギーを創りだす見えざる力である。しかし、人が日本語についてなにかの考察や反省をくわえるとき、人は語彙の断片にかかずらい、単に技術的なことば遣いにとらわれる傾きがありはしなかったか。
ここに《日本語の歴史》(全七巻)を世におくるにあたり、私たちが念願したことは日本語を日本民族のことばとして、正しく把握することにあった。繰り返しいう――日本語は日本民族のことばにほかならない。日本列島に日本民族がそのおぼろげなる始源の姿をあらわして以来、つねに民族のことばとして民族の発展とともにあった日本語の歴史を探ることは、実は一面では日本民族の歴史を探ることでもある。(中略)いってみれば、日本語をとおして、文化を創り、思想を育て、芸術を開花させた民族の生命力を、私たちはここに描きだすのである。
言語の歴史とは、とりもなおさず、言語をあやつる人間の歴史でなくてはならない。みずみずしく力強い宣言で、人を発憤させるエネルギーがありますね。
ただし、「日本語の歴史=日本民族の歴史」という構図が今後も有効なのかどうか(今までも有効ではなかった、と見ることもできますが)。最近流行の某書がいうように、日本語はローカルな民族言語として世界の片隅で生きのびるかもしれませんし、異なる事態が発生する(しつつある?)かもしれません。
日本語系統論とコリア語
第一巻を今まで読んでいなかったのは、それが主に系統論や「原(始)日本語」(284頁)といったものをあつかっているからでした。日本語系統論は本書の初版が出た当時(1963年)からあまり進展はありませんし、「原(始)日本語」にいたっては現在そういうタイトルの本が出ていたら、まあ、だいたいトンデモ本です。
日本語は、どの系統に属する言語なのかわかっていない。状況はコリア語も同じ(240頁)。にもかかわらず、昔から私は眉をひそめていましたが、「日本語とコリア語は(いうまでもなく)親戚関係にある」みたいな論調が世間で少なからず見受けられるのはどうしたことか。あるいは、笑えないダジャレにしか見えない「コリア語に由来する日本語」論みたいなものが幅を利かせているのはどうしたことか。たとえば地名「奈良」がコリア語で「国」を意味する「ナラ」から来ている、といわれて信じる人は驚くほど多いようです。(念のためにいいますが、日本人がどこかに大量に移住して、そこに地名をつけるときに「じゃあ、『クニ』にしよう!」というネーミングセンスが果たしてありうるのか、ということです)
むしろ、そういう関係性をどうしても狙いたいのであれば、「語源的には似ていない形のほうが、もとへさかのぼってゆくと、むすびつきうる可能性を宿しているという一見逆説の真理」(241頁)のほうではないかと。
あと、地名ということを考えたいのであれば、出雲国風土記の「国引き」で有名な地名「意宇」(おう)について述べられている箇所(312〜313頁)がおもしろい問題提起をしています。こういうことを学ばなければいけない。