「編年」が「ケンネン」に聞こえた(かもしれない)こと

 佐藤道生氏蔵『東坡詩聞書』(仮題。慶長十八年写)を、堀川貴司氏『五山文学研究 資料と論考』の翻刻で通読しようとしたところ、その冒頭の辺りに、

(241頁)
 「編年」を「ケンネン」としている。「編」に「ケン」の音があるとは考えにくいから、何だろうかと思っていたのですが、工藤力男氏『日本語に関する十二章』九の章「聞きまつがい」(←誤字じゃないよ。初出2011年)にそのヒントになることが書いてありました。
 工藤氏はまず梨の品種の「幸水」と「豊水」を取り上げ、「コウスイとホウスイ、語形の差は、語頭の子音[k]と[h]だけで、聞こえの印象もたいそう近い。発送や取引の現場で紛れることはないのだろうか」(156頁)とした上で、地名「誉田」(ホムタ、ホンダ)が今では「コンダ」と呼ばれることに注意を向け、古典文学作品(『閑吟集』『太平記』)に出てくる「誉田」の読みをどう処理すべきかという問題を投げかけます。

 こんな面倒なことをするのは、古典の本文を扱うには、音韻史への配慮が缺かせないと考えるからである。ここでは、ハ行子音の歴史の絡む問題がそれである。すなわち、近畿圏の近代日本語では、古代の両唇音[ɸ ]から、広い母音を有するハ・ヘ・ホでは喉音[h]に変化した。中世はその過渡期にあたる。

(158頁)
 講義を聞書していた人が「ヘンネン」を「ケンネン」に聞き間違えた可能性は十分に考えられるのではないか。言うまでもなく、ただの思いつきですし、他に考え得る可能性を吟味した上でないと断ずることはできませんけど。それにしても、「誉田」のことは知っていましたし、ハ行のことももちろん常識ですが、肝心の、カ行とハ行が紛れやすいということに思い至らないのは、私ちょっとダメですね。
 ただ、気になるとすれば、「編」の字音を知らないということはないだろうとは思うのですが・・・

五山文学研究: 資料と論考

五山文学研究: 資料と論考

日本語に関する十二章―詫びる?詫びない?日本人 (和泉選書)

日本語に関する十二章―詫びる?詫びない?日本人 (和泉選書)