米芾『画史』註解 上

米〓『画史』註解〈上〉

米〓『画史』註解〈上〉

 書家として名高い北宋・米芾(1051〜1107年)の絵画論である『画史』の注釈書。信頼できる整定本文を提供するとともに、校異・読み下し・資料によって、難解な『画史』がようやくまともに読めるようになりました。
 「資料」の部分で多数の図版を掲出しているのも大変ありがたいです。『画史』で述べている構図や筆致の解説をするには、百聞は一見にしかず、実際の絵や法帖を見るのが一番ですよね。

「凹凸」

支那絵画史 (ちくま学芸文庫)

支那絵画史 (ちくま学芸文庫)

 『画史』は内藤湖南が「[米芾は]画には画史を著はし、親しく睹た画の意見を書いてあるが、卓見が多い」(『支那絵画史』、116頁)と簡単に触れているものなのですが、その筋では断片的にしか取り上げられてこなかったように思います。
 訳注本がほぼ皆無だった頃、私もたしか四庫全書所収本で読もうとして全く歯が立たずに放擲したもので、浅からぬ因縁を感じている本です。たしか「凹凸」という語句を調べていて、以下の箇所にぶつかり、

王防字元規家二天王皆是呉之入神画行筆磊落揮霍如蓴菜条圜潤折算方円凹凸装飾如新与子贍者一同

全くの無知で、どこで句が切れるのかもよくわからず唖然とした記憶があります。本書においても「圜潤折算」の「折算」については「未詳、漢代数をかぞえるのに竹管を使ったことから、折れ曲がった直線の意か」(80頁)とあるように、まだまだ未解明な部分はありますが、とっかかりができたということにおいて偉大な業績です。
 細かいことでも、たとえば、「好事家」という語のニュアンスは「真の愛好者、賞鑑家」ではない「「物好きな連中」の軽侮の意味である」(155頁)など、ちょっとおもしろいことが至るところにありました。

「溪岸図」

ジェイムズ・ケーヒル氏の「序」、

結語に代えて述べておきたいことがある。一九九〇年末、十世紀の巨匠董源の作であると伝えられ、ニューヨークのメトロポリタン美術館に購入されたばかりの「溪岸図」と題された絵画が、北宋最上の傑作として宣伝された時、それを真蹟とし、支持する圧力は、多々の疑惑が公的に語られるのを握りつぶす程強かった。私はこの作品に不審を抱く者として孤立している自分に気が付いた。その時、たった二人の同僚のみが私の立場を支援してくれた。一人は近年、脳卒中に倒れたが、引退生活から抜け出して、この作品を研究し、明らかに近代の偽物であることを証明したクリーブランド前美術館長シャーマン・リー氏であった。そして、もう一人は、最初にこの作品の制作年代と真偽を疑い、活字にして発表した古原宏伸氏である。健康上の困難を抱えていたにもかかわらず、ニューヨークへの旅を決行し、一九九九年にメトロポリタン美術館に於いて開催されたシンポジウムに、私の同志として、この作品の支持者達の重圧な討論に対抗するために、出席された。そこには、道徳的で高潔な勇気と献身が要求され、学術的な誠実さ以上のものが要求された。古原教授は、決して優勢な意見に流されたりしなかった。彼は、彼のキャリアを犠牲にしてまでも、彼自身の信念を貫き通した不屈の反論者であった。だからこそ、私は、彼に益々敬服し、生涯をかけて温めてきた彼との友人関係を尊重するのである。

(8頁)詳細は、http://jamescahill.info/r11.185.145.shtml にて。翻訳は『芸術新潮』2002年5月号。

 (伝董源「溪岸図」)
 ちなみに、董源の絵画史的価値を最初に見出したのは米芾です。

米芾は董源を好み、『画史』中、十一回董源について言及している。そして、何よりも重要なのは、米芾は董源を最高に評価していた。同時代で米芾ほど董源を評価し、愛重していた批評家はいない。(中略)米芾のこの評価が、十六世紀、董其昌が構成する文人画の系譜と、山水画創作の理論につながっている。中国絵画史における米芾の最大の貢献の一つである。

(234頁)