徒然草

 枝葉末節レビューしばらくお休みしていました・・・。

徒然草 (ちくま学芸文庫)

徒然草 (ちくま学芸文庫)

各段最後の「評」では(中略)後世の文学作品や思想書、絵画、外国語訳など、さまざまな分野に見出せる幅広い「徒然草文化圏」にも触れたので、徒然草を窓として、本を読む楽しみを実感していただければ幸いである。

(14頁)

なお本書では、屏風や画巻など、絵画化された徒然草に言及したが、それらに関する拙考および図版は、拙著『徒然草文化圏の生成と展開』(笠間書院)に収載しているので、参看していただければ幸いである。

(493頁)

徒然草文化圏の生成と展開

徒然草文化圏の生成と展開

 中世末から江戸時代にかけての徒然草の影響力は非常に大きいものがあります。たくさん注釈も出ましたし、広瀬淡窓による徒然草を題材にした詩も佳品で忘れがたい。
 本書で「後世の文学作品や思想書、絵画、外国語訳など」に触れた章段は、26, 44, (52-)54, 60, 82, 89, 98, 104, 110, 115, 117, 119, 134, 137, 139, 140, 148, 166, 184, 188, 189, 190, 191, 194, 211, 215, 217, 220, 230, 236段といった辺りです。参考までに。
 どれも興味深い指摘でして、そのなかから幾つか短く引用しておきます。

ちなみに、米沢市上杉博物館所蔵の『徒然草図屏風』には、人々が芋頭を川で水洗いして、大鍋で調理し、できあがった芋頭を大鉢に盛り上げて、盛親僧都のもとへ運んでゆく情景が描かれており、興味深い。徒然草の本文には、そのような具体的なことは何も書かれていないが、絵画に描く場合は、原文にないことも補っているのである。

(60段)

蕪村に、「討ち果たすぼろ連れ立ちて夏野かな」という句がある。徒然草にはこの場面の季節は書かれていないが、原文に書かれていなくとも、みずからの想像力を飛翔させ、しかもぴたりと情景が決まっているところに、蕪村の鑑賞眼が光る。

(115段)

なお、岡山の後楽園の造営に際して、この第百三十九段の草木論が参考にされたとする見解もある。

(139段)

東京藝術大学大学美術館所蔵の『徒然草画巻』は、徒然草を描いた絵ばかり五十三図を集めたものだが、同じ章段を何枚も書いているので、描かれた段の数は三十五である。その中に、自分で灸を据える男の絵が二枚、俳画風に描かれている。こんな何げない、しかも短い段が、画家たちの絵心を刺激したのだろうか。

(148段)

江戸時代の儒学者・佐藤直方(一六五〇〜一七一九)が、徒然草から重要な章段を約三十、抜き出した中にも、本段は入っている。ただし、「女性なれども、聖人の心に通へり」以下の原文は、ばっさりカットしている。厳格な朱子学者だった直方から見れば、とても「聖人の心」とまでは納得できなかったのだろうと思うと、何だか少し可笑しい。

(184段)

なお、幕末の志士である坂本龍馬(一八三五〜一八六七)は、姉に宛てた手紙の中で、先生と仰ぐ勝海舟の凄さを、「達人の見る眼は恐ろしきものとや、つれづれにも、これ有り」と書いている。

(194段)

余談(1)

改めて益無き事は、改めぬを、良しとするなり。

(127段)

余談(2)

 本書のカバーに付いている整理コードは「コ―10―8」になっています。ちくま学芸文庫に付けられているコードの最初のカタカナはだいたい著者の姓の頭文字になっていると思うのですが、本書の「コ」ってどこから来ているのでしょうか。
 追記:解決したと思われます! http://twitter.com/viewfromnowhere/status/64679466143711233 「古典」の「コ」であると。