真・初心者のための仏教講座(2)

 辞書を手にして仏典を読み始める段階に来ましたが、仏教哲学・世界観を学ぶためにはまずどの経典を読むのが良いのかといえば、それは『倶舎論』、正式には『阿毘達磨倶舎論』(唐・玄奘訳)から入門することになります。一種のファッションとして流行している『般若心経』でも良いと思いますが、やはり『倶舎論』から入るのが古典的な筋です。
 なにしろ、『簾中抄』――これは我が国の宮廷・後宮社会における必須知識を列記した書です――でも「倶舎いづくにもまづならふべし」(『倶舎論』はどの宗派でもまず学習すべきである)と言っているのですから。
 ちなみに、仏典は「経」「律」「論」の三つに分類されます。『心経』とか『華厳経』の「経」というのは、仏による説法を意味し、『四分律』や『十誦律』の「律」は戒律、「論」は解説書ということです。『倶舎論』は仏教入門(解説)書として長くその地位を保ってきました。
 『倶舎論』をさっそく読んでみることにしましょう。『大正新脩大蔵経』第29巻に収録されているのですが、多くの人はここで挫折しそうになります。なにしろ、漢字ばかりが並んでいるということで・・・。
 しかし、ここで少しパラパラと目を通してもらいたいのです。すると、本文中に改行されて漢詩(五言詩)のようなものがたくさん出てくることに気づきますよね。
 仏経の基本的な構造は(例外もたくさんありますが)、散文の部分と韻文の部分の組み合わせになっています。散文の部分を「長行」(じょうぎょう)と呼び、韻文の部分を「偈」(げ)とか「頌」(じゅ)と呼びます(偈は音写、頌は漢訳です)。『法華経』などもそうなのですが、実はこの二つの部分は内容的に対応していることが多いのです。『倶舎論』もそうで、

学説をきわめて圧縮した形で語る韻文の部分(「本頌」あるいは「偈頌」と呼ぶ)とそれを散文で解釈し広く論述する部分(「長行」と呼ぶ)とから成る

(桜部建『倶舎論』19頁)となっています。たしかに、韻文の直前には「頌曰」とあり、その頌の直後には「論曰」とあって解説がありますね。どこでもいいので任意の箇所を取り出してみると、

頌曰
  如是諸縁起 十二支三際
  前後際各二 中八拠円満
論曰。十二支者。一無明二行三識四名色五六処六触七受八愛九取十有十一生十二老死。言三際者。一前際二後際三中際。即是過未及現三生。云何十二支於三際建立。謂前後際各立二支。中際八支。故成十二。無明行在前際。生老死在後際。所余八在中際。(以下略)

(大蔵経48頁a-b)諦めずに頑張ってみましょう。わたしたちの御先祖はこれを頑張って読んだのです。たとえば「十二支」という語が頌に出てきます。これは何でしょう。いわゆる「えと」ではないことは明らかでして、『例文仏教語大辞典』の第二義に、

「じゅうにえんぎし(十二縁起支)」の略。

とあり、「十二縁起支」を見ると、

十二因縁の、無明以下の十二の一々。

と。つまり、(1)で挙げた「十二因縁」だということが判明します。「論」のところに、「十二支者。一無明二行三識四名色五六処六触七受八愛九取十有十一生十二老死」とあるのは、その「十二の一々」を列挙したものだということです。そして、この無明、行、識・・・有、生、老死については、『例文仏教語大辞典』の「十二因縁」項で既にそのままのかたちで見たことを思い出してください。
 『倶舎論』は古典時代の人にとっての仏教語辞典だったわけです。長い間尊重されてきたのも納得できます。
 『倶舎論』は有部(説一切有部)という宗派の教義・世界分析の集大成といった性格があるので、一般的な大乗仏教の概念や術語はこれだけではカバーできないというのも事実です。しかし、世界の成り立ち・その世界に住む有情が経験する輪廻のありさま・輪廻の原因である業(ごう)・その業の原因である煩悩・そしてその煩悩を断つありさま、という仏教の根本思想を説明するものとして、やはり出発点にふさわしい書だと思います。
 [仏] - Cask Strength