連歌の上賦・下賦――日国の記述をめぐって

 昨日古本屋で購入した伊地知鉄男氏『連歌の世界』(吉川弘文館)を斜め読みしていたところ、賦物(ふしもの)の説明の箇所で、

賦物連歌
 単式(上賦・下賦)
  何路 何木 何人 何船…… (何が上についたものを上賦)
  山何 朝何 夕何 花何…… (何が下についたものを下賦)

(27頁)「何が上についたものを上賦」「何が下についたものを下賦」は、私がずっと前に聞いた話とは逆じゃないかな?と気になりまして(http://twitter.com/HanShotFirst_jp/status/157134699196715009)。もちろん連歌のことは無知ですし、記憶違いもあろうかと思って、『日本国語大辞典』(第2版)で「上賦」を引いたところ、

連歌俳諧の賦物(ふしもの)の一つ。賦山何、賦夕何などのように、「何」が下についた賦物をいい、この「山」の下に句中の「木」や「人」などの語が合し、山木、山人の成語となる。うわふし。じょうふ。←→下賦(したふ)。*俳諧・独稽古(1828)上・一八「賦朝何誹諧。是を上賦といふ。発句霞とあれば朝霞と取るなり」*連歌故実―大原三吟「上(ウハ)賦は発句へ伝へ、下(した)賦は賦物へ伝ふる也。仮令へば発句に山と云事之あるを山路と取時は賦何路連歌と云也。是を下賦と云也。又発句に路と云事のあるを山路と取時は山何と何の字を下に書也。是を上賦といふ也。発句に有文字を先にとなふると後に唱ふるとの替りめ也」

「「何」が下についた賦物」を「上賦」とするということで、『連歌の世界』とは逆の説明でした。私の記憶通りだったわけですが、その後「『連歌の世界』の説明で良いのでは?」と指摘がありまして、慌てて手元にある事典類で調べたところ、『日本古典文学大辞典』の「賦物」の項目、これは伊地知氏の執筆だったので「何が上についたもの=上賦」なのですが、ほかも軒並み、

連歌賦物】〔上賦〕(又「じやうふ」といふ)題に賦何路、或賦何木などの如く記すもので(中略)即ち句中へは定められた語の上に熟すべき語を賦し込むから上賦といふのである。

(『増補改訂日本文学大辞典』「賦物」)

「何山河何」であれば、「X山(上賦)」「河X(下賦)」の熟語を成りたたせるXの文字を探し(松山・河風など)、それを上賦・下賦交互に付句に詠み入れていく方式。

(『時代別日本文学史事典 中世編』「上賦下賦式」脚注)

「何人」のように「人」の前に付く語を取るものを上賦、「山何」のように「山」のあとに付く語を取るものを下賦という。

(『日本古典文学大事典』「賦物」)
 さきほど勤務先の図書館で綿抜豊昭氏『連歌とは何か』を拝見しましたが、そこでも

「何」が上にくる場合を「上賦」(じょうふ、うわぶし)、下にくる場合を下賦(かふ、したぶし)といった。

(59頁)と。
 それでは、『日国』が挙げる『独稽古』・『連歌故実』の引用はどうなるのか。「そもそもこの二つの本の解説が誤りなのではないか」というのが某氏の言。これは興味深い事例でして、典拠とした例文が「誤用例」だとしたら、それを元にした語義説明は当然誤ってしまうということです。
 ただ、素人なのでよくわからないのは、「何が上についたもの=上賦」と定義している、より古く、より権威のあるテキストはあるのかどうか、ということです。
 あと、これも少しだけ気になるのですが、『角川古語大辞典』の「賦物」の語義説明には、

承久(一二一九―二二)以降は「賦山何」「賦何人」などの上賦(じやうふし)下賦(げふし)式となり・・・

とあって、明言しているわけではないので、思いこみだと言われればそれまでですが、この記述だと「賦山何」=「上賦」「賦何人」=「下賦」と受け取れるような気もしますが、はて。(あと、「じょうふし」「げふし」というのかな 【追記01/13】http://twitter.com/viewfromnowhere/status/157527799391989760