『隋書経籍志補』の紹介

 本日落掌した気賀澤保規氏編『遣隋使がみた風景』(八木書店)をパラパラ覗いていて気になったというか、一つだけ注意を喚起しなくてはいけないと思いまして。
 本書第III部「倭人と隋人がみた風景」の第3章「遣隋使のもたらした文物」(池田温氏御執筆)は「古代伝来の隋経」「『日本国見在書目録』所掲隋代典籍」「「隋書経籍志」所掲隋代典籍」の書名をリストアップする資料集のようなものでして、遣隋使が目に触れたであろう、そしてひょっとしたら日本に将来したかもしれない隋代撰録の書籍が一覧化されていて、当時の文化的空気を味わうことができるのですが、それが目的なら『隋書』経籍志に著録された書籍だけを列挙するのは必ずしも妥当ではない。
 当時成立していたことが確実ながらも、経籍志や芸文志から漏れた著作はたくさんあります(何らかの理由で図書館に入らなかったのでしょう)。実は、正史の目録から漏れた著作を補う作業がすでに多くなされているのです(あるいはそもそも正史に目録がない場合はその時代の著作目録を新たに作ったりもする)。『隋書』のケースでいえば、張鵬一『隋書経籍志補』です。
 一覧すると、北朝の著作の遺漏が多いなぁという印象を抱きますが、もちろん隋代の本も含まれています。こういったものは、だいたい著者の伝記等から拾ってくるものです。
 たとえば、『北史』の李昭徽伝。その最後の方に、

大業中、将妻子隠於嵩山、号黄冠子。有文集十巻、為学者所称。

――隋の大業年間(605〜616年)に妻子を率いて嵩山に隠遁し、「黄冠子」と号した。全十巻の詩文集があり、学者の称賛するところとなった。
 当時流行したようなので、遣隋使たちの目にもとまったかもしれませんね。
 私が注目しているものの一つは「庾信集注 隋魏澹」(二十五史補編『隋書経籍志補』4941頁)です。庾信(ゆしん)というのは南朝の梁と北朝北周に仕えた当時随一の文化人でして、隋唐時代においてもその作品は尊重されました。しかも、それだけではなく、庾信の作品集は古代日本に伝来したことが確実な典籍としても知られています。その庾信集に対して、すでに隋の時代に注釈がついているというのです。『隋書』の魏澹伝を読んでみますと、最初の方にそのことが出てきます。

廃太子勇深礼遇之、屡加優錫、令注庾信集、復撰笑苑、詞林集、世称其博物。

廃太子勇」というのは高祖の息子、楊勇のこと。――楊勇は魏澹を礼遇し、しばしば恩賞を与え、『庾信集』に注釈をつけさせ、また、『笑苑』『詞林集』を撰録させた。世の人は魏澹を物知りだと称賛した。
 庾信の作品はちょっと難しいので、ひょっとしたら遣隋使たちもこれには注目したかもしれません。この魏澹による『庾信集注』がどこかの寺とか文庫からひょっこり出てくるといいですね!
 なお、中華書局から出た「二十五史補編」(全6冊)には『隋書経籍志補』以外にも書籍目録の補編が収録されていて、私も持っていますが、句読点を打っていない白文なのでちょっと大変。

 最近になって『二十五史芸文経籍志考補萃編』というシリーズが出たようですが、私は未見です。