12個の頭を持つ天皇と11個の頭を持つ地皇

 ベツォールドコレクションの『三皇五帝絵巻』
http://hollis.harvard.edu/?itemid=|library/m/aleph|012748870

 不思議な絵でして、中国古代の伝説上の王である「三皇」(どの三人の組み合わせを「三皇」とするかは諸説あります)のうちの二人、「天皇」と「地皇」が蛇身で、いっぱい頭を持っている(左のほうにいる「伏羲」もそうなっていますが、それはさておき)。
 このように多頭として描かれるのは私はあまり見たことありません。


(いずれも『三才図会』人物一巻)


東京大学東洋文化研究所『按鑑演義帝王御世盤古至唐虞伝』 http://shanben.ioc.u-tokyo.ac.jp/main_p?nu=D8640200&order=ti_no&no=03895&im=0010013&pg=13
 なんでこんなことになったのかといえば、『史記』「三皇本紀」(この部分は唐の司馬貞の著作です)等に見られる「三皇」の記述を誤解したからにほかなりません。

一説・・・天地初立、有天皇氏、十二頭。澹泊無所施為、而俗自化。木徳王。歳起摂提。兄弟十二人、立各一万八千歳。地皇十一頭、火徳王。姓十一人、興於熊耳・龍門等山。・・・

(『史記』「三皇本紀」)ここに出てくる「十二頭」とか「十一頭」の「頭」は頭部の数、つまり一つの身体に十一、十二の頭がついているというのではなく、人数の助数詞です。(それにしてもなぜ頭と人を言い換えているのでしょうね)
 それでは、絵師が全くのデタラメを描いたのかといえば、なかなかそうも言えないのではないか。というのも、蛇の体を持っていて顔が女子のようだというのは『史記』等のメジャーな典籍以外に基づくものがあるからです。

地皇。兄弟十人、面貌皆如女子。貌皆相類。蛇身獣足。生於龍門山中。

(『太平御覧』巻78所引『遁甲開山図』栄氏注)この絵では獣の足は描かれていないですけど。いずれにせよ、何か手本があったのではないかとも思うのです。無知なので御教示お願いいたします(←最近これが多い気がする)。
 そもそも天皇地皇の図像というのは数が少ないのでしょうか。『拾遺記』に晋の泰始元年の記事として、「頻斯国」(斉治平氏は「波斯国」のことではないかとする。210頁注2)の人がやってきて、国の中に大きな楓の木があり、その東の大石室の壁に三皇の像が刻まれていたと述べたとされます。

樹東有大石室、可容万人坐。壁上刻為三皇之像:天皇十三頭、地皇十一頭、人皇九頭、皆龍身。

(『拾遺記』巻九)事実かどうかも定かではなく、発掘されることは期待できませんが、どのようなものだったのでしょうね。
 あるいは、中野美代子氏等がすでに言及しているかも・・・今の仕事が終わったらちょっと勉強しよう。

奇景の図像学

奇景の図像学

中華図像遊覧

中華図像遊覧