碓氷峠の歌

 碓氷峠はいつか訪ねたいと思っています。
 http://www.geocities.jp/kumanokoutai/map25.html

弁慶が中仙道を通った際に詠んだと伝えられています。
  読めますか?
八万三千八 三六九三三四七 一八二 四五十三二四六 百四億四六

 写真では字が見づらいのですが、このままの形であれば、「やまみちは さむくさみしな ひとつやに よごとみにしむ ももよおくしむ」つまり、「山道は 寒く寂しな 一つ屋に 夜ごと身に沁む 百夜置くしむ(?)」となるわけですが、最後は「百夜置く霜」となりたいところ。
 この歌、実は新井白蛾『牛馬問』にも言及されていて、本文が少し異なるのです。

信州碓水峠にて作者不詳。
 八万三千八    やまみちは
 三六三三四四   さむく淋しゝ
 一八二      ひとつ家に
 四五十二四六   夜毎に白く
 百四億四百    もゝ夜おくしも

(日本随筆大成第3期第10巻、269頁)
 これらを比較検討しますと、第二句は現存碑文の方が具合が良い。牛馬問は数字「九」を脱しているようですし、「さみしし」は語として生硬。「さみしな」であれば「山おろしに紅葉散りしく色の浜 冬はこしぢの泊まりさびしな」(『夫木和歌抄』巻25「浜」、寂念法師)等の例がある。
 逆に、第五句は牛馬問のように最後が「六」でなく「百」であればすっきりする(上述)。
 第四句は微妙なところで、どちらでも意味が通じるように見えますが、「夜ごと」のように「〜ごと」には助詞「に」がつく形が昔は普通だと思う。それにしても「夜ごとに・・・百夜・・・」と続くのは、歌の表現としてはいかがなものか。