2013-08-06 ■ 悼 祖父母一家は当時高松にいまして、急報を受けて祖父は一人ただちに実家に戻ったようなのです。 祖父は話好きで能弁な人だったのですが、その時のことはほとんど聞いたことがない。 でも一度だけ、何年も前に、家の塀の一辺を指さして「なぜかこちら側が崩れていた」とポツリと言ったのがよく印象に残っています。 悲惨なことをもっと多く目にしていたはずなのに、それを語ることはなかったように思う。