コピペ翻刻

 コピペレポートは昨今話題になっていて周知の問題ですが、たまに気になるのが、「コピペ翻刻」。私の勝手な造語ですが、私も含めて誰もがやっていることに名前をつけただけです。
 古典籍を扱った展覧会の図録や週刊誌の釈文に誤脱が割とある、と気づいたことがある人は多いはず。こういったものに誤りが散見されるのは仕方ないと思います。締切がキツイからね・・・(普通の単行書にもひどいのはありますが)
 ところで、そのミスを検討していくと、いつもではないのですけど、たまにある傾向が認められます。誤っている字が、一般に流布している本文の字と合致することがあるのです。
 手書きの文字をひとつひとつ自力で翻刻していくのは大変な労力を要します。なので、信頼できる校訂文や校本がすでにある場合は、それを参照しながら作業を進めていくわけですね。別の本文をコピペして、それをもとに底本に即して手を加えていくので「コピペ翻刻」。当然といえば当然の所為で、これ自体は問題ありません。異体字や草体など、どうにも読めないものが、通行の本文を見たら一発で疑問が氷解したり。
 でも、そういったコピペ翻刻は、その痕跡を完全に抹殺しておくというのが芸の内だと思うのです。通行している校訂文というのはある程度の合理化を経ているのですから、いわば「正しい」(というか、読める)本文になっているわけで、底本の誤字脱字をうっかり「訂正」したままにしてしまうというのがコピペ翻刻の問題になります。
 つい先ほど購入した、日本美術を特集した某男性誌にもうっかりがあったので、本日はこういう記事になった次第です。なお、付言すれば、この雑誌記事執筆者が「コピペ翻刻」をしたのだと断定しているわけではもちろんありません。念のために。

 藤原行成「白氏詩巻」の一部分。指先の手へんの字、釈文では「按」になっていますが、「按」には見えない。「ウ」の部分はあのようには書かない。素直に見れば「接」でしょう。
 しかし、『白氏文集』ではこの字はまさに「按」に作っているのです(『白居易詩集校注 第五冊』2451頁。ただし【校】には異同は言及されず)。なるほど、「接轡」よりも「按轡」の方が常識的で、意味はよく通ります。これが本来の表現で「接」は誤写でしょう。『日本名筆選40 藤原行成集』(二玄社、1995年)は、「接」に翻刻し、右に小さい括弧で「按」とします(13頁)。「按」字を「接」字に誤ったのだろうという認識です。こういったことに注意したい。
 なお、この写真にうつっている部分で、もう一箇所、白氏文集の現行本文とは異なっている部分があるのですが、この釈文では正しく翻刻されています。「思帰」、文集では「帰思」と。でも、こういうのは思わず見逃してしまうことがあるのですよね・・・。コピペ翻刻の痕跡を抹殺する、というのはそういうことです(しつこいようですが、この釈文がコピペ翻刻だと言っているわけではありません)。