井真成の履歴書



片手間に、わかる範囲内のことをメモ。
没年から逆算して、生年は699年(文武3年)。よく勘違いする人がいますが、近代以前は「数え年」(昔のサラブレッドの年齢表記を思い出して)。生まれた段階で「1歳」、誕生日に加齢するなんて概念はないので、元日を迎えるたびに1歳加えていくというシステム。
王昌齢(698年生)が1年先輩で、王維とは同級生(王維の生年については、701年説もある)、そして、阿倍仲麻呂李白(701年生)は2年後輩ということになる。
大宝令の施行が701年なので、もちろん、思春期には律令体制のまっただなか。もし、遣唐使への任命が、真成の優秀な頭脳を見込んでのことであれば、彼は大学出身者の可能性を考えてもいいかもしれない。「学令」(当時の学制に関する規定)によると、「凡そ大学の生には……並に年十三以上、十六以下にして、聡令ならむ者を取りて為よ」(大学生には、……十三歳以上十六歳以下の、聡明な者を選びなさい)なので、仮に真成に資格があったなら、711年(和銅4年)から714年の間に入学したことになる。
彼の指導教授は果たして誰だったのか。721年(養老5年)正月27日に、「百寮の内より学業に優遊し師範とあるに堪ふる者を擢して、特に賞賜を加へて後生を勧め励すべし」(官僚のなかから学業に優れ、模範となるような人物を選抜し、褒章を与え、後進を励ますことにしたい)という詔が出て、『続日本紀』は何人かの学者の名を挙げています。
717年の遣唐使に同行したとすれば、当時19歳。成人式で馬鹿騒ぎしている新成人たちは、そこらへんのことをよく考えてもらいたい。
仲麻呂は入唐して間もなく、唐の太学(大学)に入学して、後には科挙に合格しています。おそらく真成も同じ道を歩んだのでしょうが・・・。渡唐して十何年たって「聞道未終」というのも少し寂しい気がします。