遣唐使の墓誌


釈文を探していたのですが、産経新聞灯台もと暗し・・・)に掲載されていたみたいですね。

 公姓井、字真成、国号日本。才称天縦、故能□命遠邦、馳騁上国。踏礼楽、襲衣冠、束帯□朝、。難与儔矣。豈図強学不倦、聞道未終、□遇移舟、隙逢奔駟。以開元廿二年正月□日、乃終于官弟。春秋卅六。皇上□傷、追崇有典。詔贈尚衣奉御、葬令官□。即以其年二月四日●(●=穴カンムリに乏)于万年県●(●=サンズイに産)水□原、礼也。嗚呼、素車暁引、丹●(●=施の也が兆)行哀。嗟遠□兮頽暮日、指窮郊兮悲夜台。其辞曰、□乃天常、哀茲遠方。形既埋于異土、魂庶帰于故郷。

開元22年(734年・天平6年)といえば、阿倍仲麻呂遣唐使とともに帰国することを願い出るものの、玄宗の許可を得られなかったのが、その前年の開元21年。
井真成も「いざ子ども 早く日本へ」(万葉集巻1・六三、山上憶良)といった心境だったのだろうか。
あるいは墓誌の「聞道未終」(学問がまだ修了しないうちに)を信じれば、もう少し留学先に残りたかったのだろうか。
最後の「形既埋于異土、魂庶帰于故郷」(体は異国に埋葬したが、ねがわくは魂は故国に戻らんことを)が心うたれます。