『遣唐使の見た中国と日本』
当ブログでも取り上げた *1、「井真成墓誌」に関する、本格的な概説書が出ました。一般向けですが、示唆と問題提起に富みます。
専修大学・西北大学共同プロジェクト編『遣唐使の見た中国と日本 新発見「井真成墓誌」から何がわかるか』(朝日選書 朝日新聞社 2005年)
なお、編集方針は、
空白部分の文字の推定や読み下し、そのものが、執筆者の立論の根拠になっている場合が多いことから、本書では釈文及び読み下し文を統一していない。 (15頁)
本書が今後の研究の出発点になることは間違いないので、研究者間で意見の相違のある点を整理しておこうかと思います。精読していないので、とりあえず、釈文・読み下しに関わるところのみ。(以下、敬称略。はなはだ読みづらいのはご容赦を)
- 2行目「騁」(「聘」)
中国側の釈文では、「聘」を「騁」と読んでいる。しかしこの字は、明らかに身扁に甹が書かれた異体字で、「聘」と読まれる。 (東野41頁)
- 3行目「□」(「立」「而」)
束帯して朝に立たば……「立」か「而」などを補って考えてよいだろう(「而」ならば訓読は「朝(ちょう)さば」)。「束帯□朝」だけをみると、真成は任官しており、官服を着て正装し朝庭に立つことがあったようにみえる。しかしこの表現は、典拠となったさきの『論語』の例がそうであるように、あくまで仮定のこととみるべきであろう。 (東野42頁)
欠字は「而」のようである。……ここの「而」は「如」の意味である。 (賈163頁)
- 3行目「聞」(「問」)
中国側釈文の「聞道」は、『論語』「里仁」の「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」を意識したものであろうが、字画は「問道」であり、これを指摘した葛敬勇氏に従う。 (東野42頁)
- 5行目「□」(「壑」「雪」)
墓誌銘文の内容から考えると、この欠字は「壑」という字と推測できる。 (王21頁)
□(雪)に移舟に遇い (王111頁)
- 6行目「□」(「十」)
六行目の「日」の字の上に、タテ棒の下のところが少しだけ見られ、「十」字の可能性が存在すると思われる (王21頁)
- 10行目「□」(「途」「客」「逝」)
一○行目の欠字は、墓誌銘文の前後内容から、「窮郊」と対応して「遠途」あるいは「遠路」とすれば、たいした問題がないと思われるので、「途」あるいは「路」という字と推測することができる。 (王23頁)
「兮」字の上の漢字は欠けており、判別しがたい。おそらくは「客」であろう。 (賈168頁)
遠逝 (方229頁)
- 11行目「□」(「別」「寂」「命」)
一一行目の「乃」という字の上には、左にノの筆画と、右に「刂」(りっとう)の下の筆画が見られる(図6)。また、銘文の内容からしても、この字は、「別」の字と推測できる。 (王21頁)
「寂」は字の下半が残るのみである。「別」「死」「命」などを推定する説もあるが、残画をたどるといま少し複雑な文字とみられ、ひとまず「寂」の異体字の下半とみておく。 (東野46頁)
「乃」字の上の漢字は欠けており、判別しがたい。おそらくは「命」であろう。 (賈169頁)
釈文自体にも多くの問題を含んでいますが(例えば3行目「立」を通説通りにとるか、東野説のように仮定ととるか)、内容面に関して議論をよんでいるのは、井真成の本名(日本名)、井真成はいつ渡唐したのか、あるいは、6行目の「官弟」(官第)とは具体的に何か、といったところのようですね。