菖蒲に八橋(4)
10点札の下部に描かれているのが橋でして、伊勢物語絵や工芸品によく見られるものと同様のパターンだと認められます。この様式があちらこちらの現実の庭園にも使われていることはご承知の通り(写真は小石川後楽園)。
ただ、実態はこうではなかったという源俊頼の指摘があります。
されど、これは橋をたづぬれば、河なんどにわたせる橋にはあらず。あしをぎの、おひたる道のあしければ、ただ板を、さだめたる事もなく、所々にうちわたしたるなり。
(『俊頼髄脳』)橋脚があるような橋ではなく、板をわたしただけ、というのです。
しかし、だとすれば、『海道記』の作者が目撃した朽ちた「橋柱」は何だったのか。
それに、実態がどうであれ、例えば一人の天才画家の奇想が産んだ八橋の錯視的なイメージのほうにこそ魅力を感じてしまうのは仕方ないところです。
(北斎『諸国名橋奇覧』「三河の八ッ橋の古図」)