人生後半に読むべき本
三が日、時間はあるのにあまり読書していません・・・。
- 作者: 谷沢永一,渡部昇一
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2006/08/26
- メディア: 単行本
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ちなみに、右に引用した対談には、「学界はどんな本を無視するか―谷沢」という一節もあります。
とあったので、読もうと思った次第です。よって、全7章だての本ですが、ちゃんと読んだのは第四章「古典を読む愉悦にひたる」のみです。
学界から無視されている本
「この本を認めてしまえば自分たちのやってきた仕事がみんなガラガラと崩れてしまう。そういう本は無視するわけです」(146頁、谷沢氏)というわけで、まずは小松英雄氏の著作(『やまとうた』『みそひと文字の抒情詩』)が挙げられ、
[小松氏の解釈を]古今学者は全員黙殺。つまり、小松さんの意見を容れてしまえば、いま出ている古今集の注釈書は用を成さなくなってしまう。
(142頁、谷沢氏)ほかには、
松尾芭蕉の連句を見事に読み解いたのが、安東次男の『完本風狂始末』です。ちくま学芸文庫で出ています。
これは、学界を挙げて無視黙殺されている本です。
(145頁、谷沢氏)そして、小西甚一『日本文藝史』も「日本の文学史を紐解く上でこれ以上の一冊はないでしょう」(155頁、谷沢氏)と絶賛されますが、
しかし、東京教育大(筑波大学)出身ですから、東大系のいわゆる学界からは完全に黙殺されています。
(158頁、谷沢氏)
読むべき本
ほかにも学術系の「推薦図書」が挙げられていて得心するところがあったので、メモ。
雑誌の連載で『孫子』の全文を現代語訳していくこともやりましたが、注釈が腐るほどあるなかで、やはり山鹿素行と荻生徂徠が傑出しています。
(133頁、谷沢氏)素行の孫子注は『孫子諺義』で、徂徠のものは『孫子国字解』。
高浜虚子が書いた『俳句はかく解しかく味う』は虚子調ではあるとしても、さすがに一世の大俳人だけあって、「こんなふうなものか」と、俳句に目が開かれるような気がします。
(139頁、渡部氏)
[新古今集の技巧]を解明したのは丸谷才一の『後鳥羽院』です。だから、古今の解釈は小松英雄に始まり、新古今の解釈については「丸谷」以前と「丸谷」以後で変わるんです。
(142頁、谷沢氏)
[徒然草の]今までの注釈評釈で一番いいのは、沼波瓊音(武夫)の『徒然草講話』。(中略)明治から戦前に書かれた注釈書で後世に大きく影響を与えた著作といえば、この『徒然草講話』と、暁烏敏の『歎異抄講話』の二つが双璧でしょう。
(153〜154頁、谷沢氏)『徒然草講話』は修訂版が初版の10年後くらいに出たのですが、良くも悪くも著者の強烈な個性が前面に出ているのは初版のほう。
「?」な本
もちろん、上述のものとは趣の異なる書籍も紹介されています。お二人は口が悪いので、名前は伏せます。
日本古典文学大系に蕪村・一茶集があり、前半の蕪村を×が担当した。これはもう無茶苦茶な内容です。中村幸彦先生は×が早大を定年退職するまで待ち、蕪村の正しい解釈の連載を始めた。それから、西鶴問題も、○が京大を定年退職したときの献呈論文集に書いた。だから、中村先生の論が出ても、×や○は学生から意地の悪い質問をされて立ち往生させられることがない(笑)。
(146〜147頁、谷沢氏)次に挙げるのは、もう歴史的人物ですし、私も思い当たるふしがあるのでそのまま。
大学二年のときに源氏を読む授業があった。それでレポートを書かなければならないので津田左右吉を読んだけれども、まあ内容の空疎なこと(笑)。何かレポートに書こうと思って読んでも、引用するところなどどこにもなかった。
(151頁、渡部氏)
ないでしょう。鈍感というか、感動しない人なんですね、あの人は。極端にいうと、論語研究であろうが、道教の研究であろうが、全部ケチをつけるために本を精読するという奇妙な人です。
(151〜152頁、谷沢氏)