高僧伝(一)

高僧伝〈1〉 (岩波文庫)

高僧伝〈1〉 (岩波文庫)

 梁高僧伝の全訳は本邦初(読み下しは『国訳一切経』にありますが)。全四巻の予定ということなので、今から完結が待ち遠しい。最近の岩波文庫は、中国古典関係で意欲的な力作が陸続していますね!

仏教東漸史の基礎資料として

 どのように震旦に仏教が伝わり、定着したかということを知るための古代の基礎資料として『高僧伝』は重要です。高僧の伝記というのは仏教発展の歴史の叙述そのものだからです。古代の日本でも『高僧伝』は仏教史を学ぶ一つの便利なガイドブックとして使われたと考えられます。たとえば、『唐大和上東征伝』に付された「初謁大和尚二首」の序に「聞夫仏法東流、摩騰入於伊洛、真教南被、僧会遊於呉都」(蔵中進『唐大和上東征伝の研究』、621頁)とあるのは、『高僧伝』巻一の摂摩騰と康僧会の伝記を参照したものだとされます(小島憲之『国風暗黒時代の文学 上』、501〜502頁)。

摩騰は仏法の弘通を心に誓い、苦労をいとうことなく、中央アジアの流沙をものともせずに洛陽に到着した。

(27頁)

その頃、呉の地域は仏法に薫染したばかりで、教化はまだまだ行き届かなかった。僧会は仏道を江南の地に盛んにし、仏教寺院を建立したいと考え、そこで錫杖をついて東に旅をし、呉の赤烏十年(二四七)に初めて建鄴に到着すると、茅葺きの庵を営み、仏像を設けて仏道修行に励んだ。

(67頁)

翻訳に工夫を

 『高僧伝』の原文は読みにくいので、このような日本語訳は大変ありがたいのですが、もう少し原文の趣がわかるような配慮がなされていたら一層良かったのではないかと思います。中世漢語の勉強にもなるので。『高僧伝』の読みにくさの原因の一つが、六朝語(中世語)の多用なのです。どのような六朝語が使われているかを通覧するためには、森野繁夫氏らが中心になって作成した『高僧伝語彙索引』が便利。残念なことに、本書の「訳者解説」には『高僧伝語彙索引』が挙げられていないので(たしかに入手しがたい書ではありますが)、注意を喚起する次第です。
 そういう意味では、『大乗仏典 中国・日本篇 第十四巻』に収められた『高僧伝』の翻訳は、原文の表記を最大限尊重しながらルビで意味を示すという方法を採用しており、私は結構好きです。こんな感じ。

すでに法門(おしえ)を践(まも)り、俊思(すぐれたしさく)が奇抜(ずばぬけ)て、句(ことば)の義(いみ)を研味(きびしくぎんみ)して、たちまち独自の開解(かいしゃく)をした。それ故に年が志学(じゅうご)で、すぐに講経の座に登った。吐納(おうとう)、問弁(たいわ)の辞(ことば)は珠玉にもまさるほど美しかった。宿望(ろうせい)した学僧や当時の名士と雖も、みな慮(かんがえ)が挫(くじ)かれ詞(ことば)が窮(つま)って、すすんで酬抗(たいろん)するものがなかった。年が具戒(にじゅう)になり、器鑑(けんかい)は日ごとに深まった。性度(ひとがら)は機警(きびん)で、神気(こころ)は清く穆(なご)やかであった。

(『大乗仏典 中国・日本篇 第十四巻』、45頁)
 岩波文庫版はここまで頑張らなくてもいいかもしれませんが、原文表記と対照しやすい工夫があるといいですね。

蛇足

 「亀茲(きゅうじ)王は彼が世俗的な栄誉を棄てたと聞いてとても敬慕し……」(141頁)。「亀茲」を今までずーっと私は「きじ」と読んでいたのですが、これを「きゅうじ」と読むのが最近の約束事なのでしょうか。
 あと、これもよくわからないのですが、「安般守意経」(78頁など)、本書は「安般」を「あんぱん」と読んでますが、「あんはん」とよんだり「あんばん」とよんだり「あんぱつ」とよんだりすることがあって、どれが普通なのか門外漢には判断がつかずに困っています。