『杜甫 偉大なる憂鬱』『李白 巨大なる野放図』

杜甫―偉大なる憂鬱

杜甫―偉大なる憂鬱

李白―巨大なる野放図

李白―巨大なる野放図

 宇野直人氏による「詩聖」と「詩仙」の作品評釈で、江原正士氏との対話形式になっています。
 カバー絵の橋本関雪「失意」(『杜甫』)と梁楷「李白吟行図」(『李白』)、いいですね。

「“新発見”の要素」

李白』もそうですが、本書中に取り上げた詩の解釈については、類書に見えない新説を提示したり、通説への疑問を提出したりした箇所が随処にあります。

(『杜甫』、13頁)
 一般向けの本ですが、いろいろ学ぶことがあって楽しいです。たとえば、李白峨眉山月歌」の結句「思君不見下渝州」の「君」は月を指すとか友人を指すとかなどが通説だと思うのですが、本書では、女性であるとはっきり指摘します(『李白』、49頁)。女性といえば、「渡荊門送別」詩の五・六句「月下飛天鏡 雲生結海楼」にもその背後に女性がある、というお二人の想像がおもしろい(『李白』、63〜65頁)。
 あるいは、杜甫「江村」の尾聯「多病所須唯薬物 微軀此外更何求」。普通は最後の「此外」の「此」は直前の「薬物」を指すと解釈し、つまり、「私は病気がちでただ薬だけが必要だ、この取るに足らない体には薬のほかは何もいらない」と理解するのですが、

最後に「此の外」とあって、「此」という字はしばしば、或る一点を指すのではなく、これまで述べて来たことの全体を指します。ここでは、この詩でこれまで述べて来た生活環境、家族たち、その他にはもう求めない、求めまい、ということじゃないでしょうか。

(『杜甫』、305頁)
日常のささやかな幸せこそが大事であって、(このほかに)名誉などはもう求めない――はっとさせられる解釈です。詩が生き返ったような心地がします。
ほかにも、非常に簡潔な記述ですが、

李白の律詩は往々にして前半後半に分けられ、前半が描写で後半が感情表現になっていますが、杜甫はそうではなく、最初の二句が導入、続く四句、つまり真ん中の二つの聯が描写、そして最後の二句で結ぶ。つまり、真ん中の描写部分を、前後の感情なり説明なりがサンドイッチにする形式になっています。

(『杜甫』、25頁)
あるいは、

これは杜甫がよく使う兼語式で、上半分の目的語が下半分の主語になっています。

(『杜甫』、358頁。「旅夜書懐」詩の「星垂平野闊」について。「平野」が「星垂」の目的語になっていて、なおかつ「闊」の主語になっている)
など、他の杜甫詩・李白詩を自力で読むときに役立つことを多く教えてくれます。

主要参考文献

 巻末の「主要参考文献」のなかで、恥ずかしながら、初めて知った本があったので備忘用にメモ。

杜甫―沈痛漂泊の詩聖 (1969年) (講談社現代新書)

杜甫―沈痛漂泊の詩聖 (1969年) (講談社現代新書)

代表作を題材別に収めた訳注書。作品の選定には著者の見識がうかがわれ、特に量の多さを目指さず、古体詩の代表作をつとめて収録している。〈三吏三別〉の詩篇や、「京自り奉先県に赴き 懐ひを詠ず 五百字」「北征」の二大名作が全文収められている。

  • 繰井潔『杜甫詩を読む』(竹林館、2002年)

代表作十篇につき、一句一句を詳細に分析し、従来の説をじっくり検討しつつ解釈を施した書。通説への疑問、問題提起が多く含まれている。

表題の二大詩人につき、それぞれの国の文学史や社会背景を述べ、その上で彼らの伝記、作風や思想を論じ、さらに両者の比較論を展開した大著。

詩人李白〈上〉 (1983年) (中国カラー文庫〈14〉)

詩人李白〈上〉 (1983年) (中国カラー文庫〈14〉)

詩人李白〈下〉 (1984年) (中国カラー文庫〈15〉)

詩人李白〈下〉 (1984年) (中国カラー文庫〈15〉)

李白の事跡を辿りながら代表作を紹介し、ゆかりの土地の写真を多く収めたもの。袪?教授による〈はじめに〉は、簡にして要を得た “李白概論” となっている。

蛇足

 その参考文献に以下の本が紹介されていないのが気になりました…。もはや入手困難で、文体も現代の読者にはとっつきにくいからでしょうか。

杜甫ノート (1954年) (新潮文庫)

杜甫ノート (1954年) (新潮文庫)

 素晴らしい評釈です。杜甫詩に限らず、唐詩を読むための絶好の入門書だと思います。

  • 森槐南『李詩講義』(文会堂書店、1913年)

 こちらはもう図書館で見るほかないですが…。筆者の死によって100首余りで断絶したのが惜しいですね。

*1:弥耳敦はミルトンの音写。