「『杜詩詳注』便覧」としての『杜甫全詩訳注』


 仇兆鰲『杜詩詳注』は本当に便利な本でして、工具書の一種として使っている人が結構いると思うんですよね。というのも、『杜詩詳注』は杜甫の詩句のうち、前代(六朝以前)に典故もしくは先例のある表現をよく拾ってくれている。これ、調べものに役に立つんですよ。中央研究院その他でのオンライン検索に慣れちゃった若い人たちも、このことには特に注意してもらいたい。
 そして、本書は、

訳注は、詳注の解釈に準拠する。

(18頁)いいですねー

歴代の有力な異説や近年の杜甫研究の成果は、【語釈】あるいは【補説】の中で紹介し、訳注には杜甫研究の最新の成果を反映した。なおその場合も、書き下し文と現代語訳は詳注の解釈に従った。

「書き下し文と現代語訳は詳注の解釈に従った」それ(+九家集注杜詩)が我が国における標準的な理解でもあったと思うのですよ(例外はあるでしょうけれども)。なにしろ、『文選』その他の六朝以前の詩文をよく学んだ国民なので!
 そのなかでもたとえば ↓ こういった注意を促しているのは、『杜詩詳注』読者にとってもありがたいのではないでしょうか。『詳注』が挙げた用例の意味を理解できる上に、最新の解釈も知ることができる。

〇晩歳 年の暮れ。詳注が隋・孫万寿の詩句「晩歳に函関を出て、方春に京口を度る」を挙げるのは、年の暮れの意と解している。鈴木注も。ただし、晩年の意と取る説が多い。この時、杜甫四六歳。

(532頁。「羌村三首」第二首、「晩歳迫偸生」の注)
 勉強いたします。