高僧伝(三)

 岩波文庫版『高僧伝』ももうすぐ完結。本書は「義解篇四」(巻七)から「神異篇下」(巻十)まで。

高僧伝(三) (岩波文庫)

高僧伝(三) (岩波文庫)

 毎度のことながら名僧は多いですが、我々にとって特に親しみがあるのは最後に紹介されている宝志(本書では「保誌」)でしょうか。
 ↓この人。

 有名な伝記なので目を通したことはあるのですが、一箇所どうしても要領を得ないところがあるので翻訳を楽しみにしていました。その箇所を原文(大蔵経、394c頁)で示すと、

上嘗問誌云。弟子煩惑未除。何以治之。答云。十二識者。以為十二因縁。治惑薬也。又問十二之旨。答云。旨在書字時節刻漏中。識者以為書之在十二時中。

 一番目の問答は、大蔵経の原文には句切りの誤りがあるので(×「答云。十二識者。」→〇「答云。十二。識者」)誤解を招きやすい点もあるとはいえ、まあ、問題は二番目の問答「又問十二之旨」以下です。

天子がかつて保誌に「仏弟子の私は煩悩がまだ除かれない。いかにして治療したものか」、そのようにたずねると、「十二」と答えた。識者は十二因縁が煩悩を治療する薬であるのだと考えた。さらにまた十二の意味をたずねると、こう答えた。「その意味は書なる文字の時を刻む水時計の中に存するのだ」。識者は「書」の文字が十二時中を意味することに存するのだと考えた。

(本書444頁)
 これでも明快とは言えません。「書」の文字、云々についてはさらに注が付いていて、

「書」の文字を分解すると「十」、「二」、「時」となるという趣向。すなわち、「書」の文字から「十」と「二」の要素を取り出し、さらに「日」と「聿」を組み合わせてそれを「時」の崩し字とみなすのであろう。あるいはまたは、「書」の文字を「十」と「二」と「コ」と「日」の要素に分解し、「コ」と「日」を組み合わせて「時」とみなすのかも知れない。(中略)一日は夜半から人定までの十二時に分けられ、十二時中とは四六時中のこと。

(445〜446頁)
 解字だったのですね。さて、どうでしょうか。