白居易「寄殷協律」詩――「琴詩酒伴」と「琴詩酒友」

 このような記事を目にしたことをきっかけに昔から考えていたところを。

ごりゅ殿:琴詩酒友皆抛我雪月花時最憶君(琴詩酒の友は皆我を抛つ 雪月花の時最も君を憶ふ)
ベック君:ほへ? 今の何? 日本語?
ごりゅ殿:昔、中国旅してたときにできた友達の白ちゃんが江南にいる友達の殷って人に贈った詩だよ。
ベック君:あー、中国語か! 道理で聞き取れないと思った。

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 「寄殷協律」詩は、「雪月花の時 最も君を憶ふ」の句でも有名ですが、よく見かけるのが上の記事のように詩句「琴詩酒」を「琴詩酒」とすることです。
 一概に誤りと言えるかどうかは微妙なのですが(後述)、『白氏文集』の本文に依る限りでは「琴詩酒伴」が正しい(『千載佳句』も「伴」とする)。思うに、これはいろいろな要因が絡んでいることで誤りやすくなっていて、一つはもちろん「伴」「友」の和訓が共に「とも」(←ダジャレじゃないよ)であることによる混同。さらにこの場合、本文を正しく認識していても、誤変換によって誤ってしまうという不幸も現代では数多く招いているはず。
 もう一つは、むしろこちらの方の影響が大だと思うのですが、白居易のもう一つ有名な詩「北窓三友」の「三友」がやはり琴・酒・詩を意味することに由来する混同です。
 実は、「伴」を「友」とすることはかなり昔からおこなわれていることでして、『和漢朗詠集』(下巻・交友)ですでに「琴詩酒友」になっています。さあどうでしょう。
 ただし、詩の解釈の上でより大きな問題は、「琴詩酒伴」(琴詩酒友)が「琴詩酒」そのものを指すのか、それとも「琴詩酒を一緒に楽しんだ人たち」を指すのか、ということです。両方あり得ると思いますし、伝統的な『和漢朗詠集』古注の理解は前者なのですが、中国文学者のお考えを聞きたいところですね。