『基本古語辞典』を読む(1)

 (長くなったので今日・明日の二回に分割)
 先日「本棚メモ」で紹介したものでして(本棚メモ - Cask Strength)、小型の学習用辞典ですが名著です。引くだけでなくて、しっかり読んでみたい。
 『平家物語』や謡曲の用例が比較的多いように感じられるのは著者の嗜好も反映されているのでしょう。小西氏は謡いをよくなされたということですが、本書に目を通していると「謡曲では『ハワキギ』と発音する」(「ははきぎ」)、「謡曲では、言い切りのときソオロ、連体修飾のときソオロオと発音する」(「さうらふ」)、「現在も謡曲で『ンメ』と発音するように、『うめ』ではなかった。江戸時代以降「うめ」という発音もなされた」(「むめ」)といった説明も。
 なんといっても著者の強みは文学・芸道タームの分野で、傾聴すべきものが多くあります。
 「しほり

(蕉風俳諧で)「さび」「ほそみ」「かるみ」とならび、重要な表現理念の一。その意味は、まだ明確にされていない。従来は「撓(しを)り」すなわち表現にしなやかな屈折のあることだとする説が有力だけれど、信頼できるテクストはみな「しほり」で、疑問がある。「湿(しほ)る」(しっとりする」の意)と同源の語で、しんみりした趣のある意ではないかとも考えられる。

 「しょしん」

世阿弥能楽論で)芸が未完成の時代に習得した境地。・・・(「はじめに思った心」という意味の用例は見当たらない)

 「こしをれうた」

(第三句(腰の句)に表現の欠点がある短歌の意から転じて)まずい歌。自分の歌をけんそんしていう時にも使う。・・・(この場合の「折れ」は「故障がある」の意。曲がる意ではない。・・・)

 もちろん、他の語にも考えさせられるところは多いです。たとえば、「ゆく」に関しては、「『死ぬ』という意をあげる説もあるが、古文ではまだ用例を見つけていない」と。
 『万葉集』に、池に身を投じて自殺した女を悼んだ男の歌があります。「あしひきの 山かづらの児 今日ゆくと 我に告げせば 帰り来ましを」(巻16・3789)、これは普通には「あの子が今日死にに行くと私に言ってくれたら帰って来るのだったのに」のように訳されています。小西氏がこの例を見落としていたはずはありません。ということは、この場合も「ゆく」は「死ぬ」ではなく、「(池に)行く」と解釈すべきだと主張していることになります(そう解釈している注釈書もたしかにあります)。さあどうでしょうか。他にも検討すべき「ゆく」の例は出てくるでしょう。こういう作業が辞書を読む楽しみですよね。