「月を媒介として過去・未来に思いを馳せるのは盛唐から始まる」補足
- 作者: 白居易,川合康三
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/07/16
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月がどこにも遍在するために、同じ月が照らしているであろう他の地の人を思うという発想は六朝期からあるが、時間的にも遍在することから月を媒介として過去・未来に思いを馳せるのは盛唐から始まる。
(28頁)
そうなのです。盛唐・李白の「今人不見古時月 今月曾経照故人」(「把酒問月」)等があまりにも有名なので、そういうふうに詠むことは大昔から普通であったかのように感じてしまいますが、いざ探してみると、六朝期以前にはなかなか見つかりません。
ということで、当時徹底的に調べたわけではないのでこれ以外にも見つかるかもしれませんが、梁・沈約の「悼往」(悼亡)詩(『玉台新詠』巻5)が珍しい古い例として注目されます。言うまでもないですが、亡くなった妻を追悼する詩です。
去秋三五月
今秋還照房
(中略)
悲哉人道異
一謝永銷亡
――去年の秋の十五夜の月は今年の秋にまた部屋を照らしている・・・悲しいことに私たち人間の世界の道理は自然界とは異なり、ひとたび去れば永遠に消えていなくなってしまう。
よって、柿本人麻呂の
去年見てし 秋の月夜は 照らせども 相見し妹は いや年離る
(『万葉集』巻2・211)
は、この沈約の悼亡詩から学んだものである可能性が高いということになります。