「漢字の本義」という魔物

 一昨年、昨年と講師を担当した某ワークショップが、今年度は先方の財政難によって開催されなくなったので、用意していた2、3の教育的な小ネタは来年以降に持ち越しに。
 小ネタはたいてい「こういうことをしてはいけない」という注意を与えるものでして、今回ご紹介するのもそれです。つい最近刊行された熊倉浩靖氏『日本語誕生の時代』(雄山閣、2014年)にも見いだされたので、御覧ください(多分、このネタ自体はお蔵入り)。

(216〜217頁)
 古代東アジアの諸地域において、漢文の読み書きを学ぶというのは当時すでに成立していた古典の注釈――訓詁学――による解釈を受け入れることで成り立っていたのであって、原則として、漢字の運用は典籍の権威ある注や辞書の記述を離れてなされるものではなかったと考えるべきです。
 壬申誓記石の最後にも「詩尚書礼伝倫得」(詩・尚書・礼・伝の倫を得)とありますが、こういった経典は伝統的な注釈(たとえば詩であれば毛伝・鄭箋、左伝であれば杜預注、等々)とともに読まれ、漢字の語義も読者はそれによって学んだわけです。
 文字学の発達によって伝統的な漢唐訓詁学の成果に批判が加えられ、古典に用いられた字の「本義」(原義)に関する議論が盛んになるのはずっと後代のこと。そんなものは7世紀(「壬申年」がいつにあたるかは諸説ありますが、612年か672年ですかね)の半島人や列島人の関知するところではありません。
 ちなみに、この「神気」云々は、白川静説に依拠しています。

 
(『新訂 字統』平凡社、2004年。879〜880頁)

個人的なことを言えば、筆者は学生時代から白川静を愛読してきました。その学説の当否は別にして、古代社会を見てきたかのように語り、粘り強い想像力で文字の秩序を再構成する著作は、危うさもありますが、そのぶん魅力的です。しかし同時に、戦国期以降の中国文化は、五経や四部(経・史・子・集)の典籍による別の秩序によって歴史を積み重ねてきましたし、日本もまたその秩序において古典的世界を作り上げてきました。漢字文化圏と言うのであれば、その歴史も含めて引き受けなければなりません。

齋藤希史氏「コラム1 白川静ブーム」『古典日本語の世界[二]』東京大学出版会、2011年。30頁)