『中国の歴史04 三国志の世界』

講談社から刊行中の「中国の歴史」シリーズ(全12巻)の一冊(先月刊行)。いわゆる旧「中国の歴史」シリーズでは、三国時代に関する記述は川勝義雄魏晋南北朝』(第三巻、1974年刊)のなかに含まれていましたが、新シリーズでは、それを後漢〜三国(第四巻)と魏晋南北朝(第五巻)に分割。日本人になじみの深い三国時代に対する比重が増しました。
それはそれで結構なことですが、「本書のひとつの目的」が、

われわれがよく知っている小説『三国志演義』(中略)を手掛かりとして、われわれにとってあまり馴染みのない本来の三国時代の歴史を描いてみることにある。 (16頁)

というのは、正直いかがなものか。私のような熱烈な演義愛読者にとっては、このような方針で叙述されても問題はないです。しかし、これは形式上は、「中国の歴史」シリーズという、大陸王朝の通史を構成する一部分です。要するに、出版の建前として、三国の物語に馴染みのある読者層だけを対象にしているわけではなく、『三国志演義』に一回も触れたことのない人にも本書を手にとってもらいたいわけです。それを、例えば、

史書が記す赤壁の戦いの経緯は以上のようであった。しかし『演義』はこれをもとに壮大な物語を作りだす。まず黄蓋の偽の降伏のために苦肉の計、曹操の船団を連結させるために龐統による連環の計、(後略) (91頁)

「苦肉の計」「連環の計」と言われて、ピンと来る人は多くないはず。「苦肉の計」は後でも出てきます。

この周魴の髪を切る計略は、あるいは『演義』における赤壁の戦いでの黄蓋の苦肉の計のモデルになっているかもしれない。 (181頁)

こういった書き方をするならば、一歩踏み込んで『演義』の物語の展開を紹介しておくべきではないかと感じました。
そういった『三国志演義』愛好家を想定しているからでしょうか、話の流れが前後する箇所が目立ちます。確かに演義愛好家なら三国時代の簡単な歴史くらいは頭に入っているので混乱しませんが、そうでない読者は困ると思います。巻末の年表が詳細なので、そちらをご参照ください。
それはさておき、この本の優れた特徴の一つは、

陳寿の正史『三国志』は魏を正統として、また羅貫中の小説『三国志』は蜀を中心にすえて、それぞれ三国の歴史を描いた。いずれにせよ三国のもう一方の当事者である呉は脇役にすぎない。しかしこの脇役の呉こそ、実は三国という時代を演出し、そのキャスティングボートを握った影の主役であった。三国時代に関する書物は数多いが、呉を中心にしたものはおそらくないであろう。脇役の呉からこの時代を見れば、これまで気がつかなかった側面が見えてくるかもしれない。これが本書のさらなるもう一つのねらいである。 (21頁)

というところです。全体を通してみると、「呉を中心に」叙述しているというのは少し言いすぎの印象でしたが、それでも、蜀・善玉、魏・悪玉という構図のなかで魏の名誉回復を図るものが従来は圧倒的に多かったなかで、この試みは新鮮でした。特に、呉の参謀、魯粛の再評価を果たしたのは大変良かったと思います(井波律子『『三国志』を読む』でも、すでに触れるところがありましたが)。魯粛の外交手腕がなければ、三国鼎立という状況はなかったでしょう。劉備への荊州の割譲について、

これは周到にして大胆な計略であろう。自分が圧倒的に優位に立ちながら、大局的見地から弱い相手に大きく譲歩することは、むずかしい政治的決断である。 (98頁)

とした上で、

しかし魯粛のこの深慮遠謀は、正しく理解されなかった。孫権さえも、魯粛の死後その功績を回顧して(中略)荊州劉備に貸したのは失策だったと述べている。しかしその後の歴史の経過を見ると、荊州をめぐる抗争のせいで呉と蜀の同盟関係がぎくしゃくしたことが、両者滅亡の大きな要因であったことは歴然としている。 (99頁)

と述べる箇所は、歴史を読み解く醍醐味を教えてくれます。
ということで、大いに啓発させられる本なのですが、具体的な問題について一点。第九章は「邪馬台国をめぐる国際関係」と題して、当時の東アジア・倭国情勢を取り上げていますが、卑弥呼帯方郡に使者を送ったのが景初三年(239年)であるという通説に疑問を呈して、

しかし『三国志』には二年と書かれているのであるから、よほどの矛盾がないかぎり二年で考えるのが筋であろう。(中略)現在、邪馬台国に関して書かれたほとんどの書物、および高校の教科書や辞書の類も、すべて景初三年を自明のこととし、あたかも『三国志』にそう書かれているかのような記述になっているのは、さらに問題であろう。 (338頁)

と主張します。この「二年」へのこだわりは、つまり、

しかし『三国志』の現在みられるすべてのテキストは景初二年になっているのであって、異文はない。 (327頁)

という本文批評の立場からなされているわけですが、こういった書き方は一般読者に対して誤解を与えます。まず、「『三国志』の現在みられるすべてのテキスト」は、最も古いものでも11世紀・12世紀に出版された版本にまでしか遡ることができない。しかし、金氏も認めていらっしゃるように、『三国志』の文を「引用」したものなら古いものも残っています。例えば、太宰府天満宮所蔵の『翰苑』は、9世紀頃の写本ですが、そこには、はっきりと「槐(魏)志曰、景初三年、倭女王遣大夫難升未利等(後略)」とあります。
こういったことは自らの首を絞めかねないわけです。もし、「矛盾がないかぎり」という限定のなかで『三国志』の本文を絶対視するのなら、よく知られている通り、『三国志』には「邪馬壹国」(邪馬一国)しか見られないのだから、それ自体は矛盾はなく、他の史書を使って「邪馬臺国」(邪馬台国)に改めるのは問題にならないのか。「一大国」←→「一支国」も同じ。
あと、本論とは直接関係しませんが、

また中国が平和裏に統一されることは、全世界の人々の願いでもある。しかしそのプロセスにおいて、中国が現実的な方法をとるのか、それともあくまでも理念に固執するのかは、統一後の中国が、広大な国土の多様な文化と地方の自主性を尊重する国家になるのか、それとも王朝時代あるいは現在と同じく、強度の中央集権国家でありつづけるのかを占う重要な試金石であり(後略) (356頁)

台湾住民と世界の民主主義者の大多数を占めている独立派・現状維持派が聞いたら失神しそう。本書の前半で、権謀術数うずまく三国の政治状況を的確に読み解いた著者にしては、あまりにも暢気ではないか。