「魏志倭人伝」でいいじゃない――「魏志東夷伝倭人条」は「正式」の呼称なのか?

邪馬台国」論争は日本史愛好家の間で最も注目を集める話題の一つですから、魏志倭人伝に詳しいという人も結構います。その人たちに言わせると、「魏志倭人伝という呼び方はあくまで通称で、正式には、『魏志』の「東夷伝」のなかの「倭人条」である」ということになるようです。これはもう共通理解になっていて、例えば、卑弥呼と邪馬台国

魏志倭人伝」は無かった?!
のっけから、何時か何処かで聞いた事があるような山っ気の多い見出しを立てたのは、奇をてらい読者の関心を惹こうとしただけで、別段深い理由があってのことではない。ただ、まんざらウソでもないことは確か。何故なら、誰もが古代の日本を語るとき引き合いに出す中国の歴史書魏志』には『倭人伝』という独立した「伝」など存在していないからである。「そんなはずはない!!有名な誰それ先生の論文や古代史の専門家たちも皆引用しているではないか」という反論が直ぐに返ってきそうだが魏志倭人』伝は、何度も言うようだが存在していない。皆が、そのように便宜的に読んでいる物の実体は『三国志・魏書・東夷伝倭人の条』という三国志の中の魏書の極一部分の文言で、当時の中国から見た我が国は、一つの伝を立てるほどの事もない東夷(中略)の1蛮族でしかなかった。

検索してもらえばすぐ分かることなのですが、他のサイトでも、大抵この調子です。
厳密さを求めて、「魏志倭人伝」という呼び方は通称に過ぎないと主張してしまうと、「魏志(魏書)東夷伝倭人条」という呼び方も正式のものではない、ということになってしまうのだから、まあ、固いことは言うな、というのが本エントリの主旨。
例えば、「東夷伝」は厳密には「烏丸鮮卑東夷伝」という巻題です。そこから「烏丸」と「鮮卑」を省略して「東夷伝」といっているだけなのですから、さらにその「東夷伝」を省いても構わないはずです。
あともう一つ。こっちの方が重要なのですが、この「倭人条」の「条」という言い方は、もうやめませんか、という提案。この「条」という言い回しのせいで、上で引用したような「『倭人伝』という独立した「伝」など存在していない」という誤解が蔓延しているのではないかと思います。
陶淵明を例にとりましょう。陶淵明の伝記は何種類かあるのですが、『宋書』においては「隠逸伝」という「伝」のなかに含まれています。「隠逸」というのは、隠棲した人という意味で、陶淵明はその時代に存在した数名の隠者のなかの一人として紹介されているわけです。つまり、「倭人条」という書き方を採用する方々の理屈を通せば、「『宋書』の隠逸伝の陶淵明条」と言わざるをえないのでしょうけど、はっきり言って、「陶淵明条」などという奇妙な表現は誰も使いません。「陶淵明伝」「陶淵明の伝」でよろしい。参照、興膳宏「陶淵明の人と文学」(『乱世を生きる詩人たち』 392頁)、

宋書陶淵明伝の場合だと、「陶潜、字は淵明。或いは淵明、字は元亮と云う。尋陽柴桑の人なり」と書きおこされているように(以下略)

「東夷」という地域的なまとまりのなかに含まれている「倭人」の「伝」なのですから、「倭人伝」と呼ぶほかないと思うのですが。
今にして思えば、多くの版を重ねた石原道博編訳『新訂 魏志倭人伝 他三篇』(岩波文庫 21頁)の解説文、

さて通称『魏志倭人伝といわれる記事は、晋の陳寿(二三三―二九七)のえらんだ『三国志』のひとつである『魏志』巻三○・東夷伝倭人の条をさすのであるが(以下略)

が、罪作りだったと思います。(旧版岩波文庫でも同様の解説がなされているはずですが、行方不明で未確認)


「魏書」「魏志」の問題は、歴史的背景がやや入り組んでいるので、立ち入りません。本来は(本来、というのは、陳寿本人が付けた書名ということでいえば)『魏書』が正しいのでしょう。まあ、これも別に気にするな、としか言いようがありませんがw