「『武蔵』を『ムサシ』と読むのは無理がありませんか?」

 以前、地元の話題で盛り上がっていた時に受講生の一人が述べたことでして、これは全くその通りなのです。
 つまり、「武蔵」が、音を表記したもの(音仮名)として「ムサ」「ムサウ」とは読めるかもしれないけど、最後の「シ」はどこにもないだろう、という指摘でした。
 このことを納得するには二つのことを了解する必要があって、一つは、武蔵国はかつて「無耶志」(『古事記』。木簡にもある)という表記であって、「ムサシ」(「ムザシ」の可能性もありますが、それはさておき)と呼ぶことは確実であるということ。そして、二つ目に、大宝四年(慶雲元年、704年)四月九日に「諸国印」を鋳造させた時に全国の国名表記を二字に揃えたと考えられるので、「武蔵」はその時から公式名称になったのだろう、ということです。
 でも、当時から(我が受講生から遡ること1300年前)「武蔵」には少々違和感はあったようで、平城宮から「高椅武蔵志」という人名の木簡が出土しています。「武蔵志」は、この三字で「むさし」であって、「むさしし」ではない。

http://mokuren.nabunken.jp/Mokkan/6AAWLB14/L/000104.jpg 写真ではよくわかりませんが)
 「『武蔵』を『ムサシ』と読むのは無理があるだろ」と1300年前の日本人も思っていたというのは、ちょっと面白いですよね。