桜に幕(3)

 桜に幕(2)で紹介した「芳野賦」の冒頭に、

よし野を御吉野といふは、皇居の地なればなり。山・川・里・嶺・嶽・高根・尾上・山の井・花園を詠ず。すべて二十一代の歌数三百七十餘首。猶家々の集、物語類、詩連俳諧のたぐひ、佐川田喜六があさなあさな、貞室老人のこれはこれはまで、かぞふに中々いとまなからん。されば、もろこしの吉野とは、おほいもうちぎみの俳諧の歌より始り、芳野川花の音するとは、慈鎮和尚の大きなる歌の手柄なり。

と具体的に言及されている四つの作品(「佐川田喜六があさなあさな・・・芳野川花の音する」)は、当時は広く知られていたので、この記述だけで読者は了解できたようです。
 「佐川田喜六があさなあさな」は、

吉野山花待つ頃の朝な朝な心にかかる峰の白雲

この歌が飛鳥井雅康を通じて後陽成天皇の目にとまり、称賛されたことが『続近世畸人伝』(巻一)で語られており、後には『集外歌仙』に採録されました。第二句は、「花待つほどの」あるいは「花咲く頃の」と諸書で異同があります。『耳嚢』の「坂和田喜六和歌の事」(巻四)には、この歌にまつわる夢幻能のような後日談が語られているので、関心ある方はご参照を。
 「貞室老人のこれはこれは」は、

これはこれはとばかり花の吉野山

松尾芭蕉も吉野に旅行したときにはこの句を意識せざるを得なかったようで、「かの貞室が是は是はと打なぐりたるに、われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとぢたる、いと口惜し」(『笈の小文』)と降参しています。
 「もろこしの吉野とは」は、

もろこしの吉野の山にこもるともおくれむと思ふ我ならなくに

古今集』に見られる左大臣藤原時平の作。たとえあなたが唐(もろこし)の吉野山に籠ったとしても、私は後に残らないであなたについていきますよ、といった意味です。唐に吉野山があるはずもないのですが、要は、日本の吉野山だろうが外国の吉野山だろうが、どこまでもあなたについていきます、というのがポイント。吉野山は隠遁の地、世俗から隔絶した地、というイメージ。
 「芳野川花の音するとは」は、

吉野川花の音してながるめり霞のうちのかぜもとどろに

例えば、正徹はこの歌を含めて慈鎮和尚(慈円)の作品を高く評価しています(『正徹物語』下巻)。たしかに、「花が音をたてて流れる」とは、現代の我々の感覚からしても奇抜で、迫力を感じますね。