春・夏の札こぼれ話(2)

  • 桜に幕

 大陸原産の梅のライバルは、もちろん、我が国花、桜です。

宇治殿*1、四条の大納言公任卿*2と、「春秋の花、いづれかすぐれたる」と論ぜさせ給ひけり。「春はさくらをもて第一とす。秋は菊をもて第一とす」と、宇治殿おほせられければ、大納言、「梅の候はんうへは、桜第一にてはいかが候ふべき」と申されければ、梅と桜との論になりて、自余の花の沙汰はつぎになりにけり。大納言、おそれをなして、つよく論じ申されずながら、「なほ春の曙に紅梅の艶色すてられがたし」と申されける、優にぞ侍りける。

(『古今著聞集』巻十九「宇治頼通、四条大納言公任と春秋の花の勝劣を論ずる事」)優劣論議というのは、いうまでもないことですが、審美は二の次で、往々にして人間関係を反映するものなのでしょう。花の価値が変わるというものではありません。

 注意をはらう人はあまりいませんが、10点札ホトトギスの背後にあるのは有明の月(三日月でないことに注意)なので、この札の場面は夜明け前。ホトトギス有明の月は伝統的な取り合わせで、

ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる

という百人一首歌(後徳大寺左大臣)を想起する人も多いのでは。姿の見えないホトトギスの存在を音によって知る、というのは王朝びとの感覚です。