日本だけの「名月」

 たとえば、宋・蒲積中『古今歳時雑咏』には中秋を主題とした唐・宋詩が200首以上集められていていますが(巻29〜32)、それを眺めていて気づくのは「名月」という表現が出てこないことです。
 『漢語大詞典』や『佩文韻府』にも項が立てられていないので、漢語としては一般的ではないのでしょう。唐土に「明月」はあっても、「名月」は我が国にしかないようです。もちろん、旧暦八月十五日に月を愛でることは(この大量の漢詩の蓄積が示す通り)大陸伝来の行事なのですが、唐人は素晴らしい月を「名月」と呼ぶことはありませんでした。なぜか。
 どうもそのカギは「名」にあるようです。「名」+「名詞」という語構成を持つ漢語を挙げていくと、「名刀」「名人」「名門」「名山」「名僧」「名物」・・・要するに、同類がいろいろとあるなかで特に優れているもの、評判の良いもの、を指します。「月」はこの世に一個しかないのだから「名月」もヘチマもない、という発想でしょう。たしかに、仮に「名日」「名天」とか言われると奇妙に聞こえますね。日本でも平安時代以前には「名月」の例はないとされます(『日本国語大辞典』)。
 となると、「名月」を用いる日本人は月が何個も存在していると信じているのか、となりますが、もちろんそんなことはなくて、中国人が「物体としては一個しかない月」と即物的にとらえるのに対して、日本人は「一年に十二回満ち欠けする月のうちの、八回目の満月(あるいは、九回目の十三日目の月)が優れている」と現象面に注目するわけですね。
 まあ、ほとんどこじつけのような気もしますが、ここら辺は彼此の比較文化論もできそうではないかと密かに思っています。


 それにしてもこっちの方では本当に美しい名月が東の空に出てきました。一晩中楽しめそう。