歎異抄と、書と漢字と

 昨夜大変残念な知らせを頂きました。御冥福をお祈りいたします。

400字詰め原稿用紙にすれば35枚ほどの、『歎異抄』全文を書いた作品。・・・石川[九楊]さんはこの自作を見て、文字は音符のようなもので、音を奏でるという考えに気づいたという。

小学館刊『サライ』2010年12月号、22〜23頁)
 書といえば、先日、魚住和晃氏『「書」と漢字』が講談社学術文庫で再刊されましたね。

「書」と漢字 (講談社学術文庫)

「書」と漢字 (講談社学術文庫)

 刺激的な問題提起に富む本で、各論については大いに議論があるでしょうし、だからこそ必読の一冊です。
 わたしもいろいろと思うところがあるなかで、明白な誤りであろうという細かい一点だけを指摘いたします。「宇治橋断碑」の「修修征人」(この「修修」もこれで良いかは微妙ですが)の「征人」を「いくさびと」とする(59頁)のはいかが。素直に考えて、これは「旅人」の意です。「勗哉征人 在始思終」(陶淵明、四言「答龐参軍」)、「蚘酒送征人 踟蹰在親宴」(江淹「雑体詩」(李都尉【従軍】陵)、『文選』巻31)のように使われているところの「征人」(ゆく人)です。