『捜神記』に言及される「顛倒符」について

 これもすっかり記事を書き忘れていたものでして、時機を逸してしまいましたが、お役に立てれば何よりです・・・
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 この記事に対して gorge さんが古賀弘幸氏「訂正符の研究I」を紹介してくださいました。そのなかで一点、蛇足になるかもしれませんが、気づいたことがありますので報告いたします。

 たとえば、神仙怪異などに関係する説話を集めた東晋の干宝『捜神記』には、死[ママ]を司る南斗星の神が、閻魔帳を訂正することで若死にすることになっている少年の寿命を延ばす挿話が出てくる。「…帳簿を手にとって見ると、顔(少年の名前)の寿命は十九歳までとなっている。男は筆をとって上下顛倒のしるしをつけ、「おまえの寿命をのばして、九十まで生きられるようにしてやったぞ」と言った…」(「管輅」二)。原文では「乃取筆挑上」(筆を取って右上に斜めにはね上げた)となっている。

(117〜118頁)その上で、

 また『捜神記』の記事だけでは、仙人が使った顛倒の記号がどのような形態だったかはわからないが、前掲の東野治之の研究によれば、伝聖徳太子法華義疏」に見られる倒置符「乙」符号[図版4]は、中国南北朝の表記習慣と深い関わりがあると考えられるから[図版15・22]、東晋に成立した『捜神記』が言及している顛倒記号とは、このような記号だった可能性が考えられる(原文の「挑上」という表現も「乙」字を連想させる)。

(119頁)
 結論を申し上げますと、実は、当該説話は記号「乙」を用いて顛倒を示すことの起源譚になっていたフシがあるのです。
 当該説話は敦煌写本の句道興『捜神記』に類話が収録されています。ここでも南斗が「十九」を顛倒させて「九十」にするわけですが、

南辺坐人曰:「暫借文書看之。」〔此年始十九、易可改之〕。把筆顛倒句著、語顔子曰:「你合寿年十九即死、今放你九十合終也。」〔自爾已来、世間有行文書顛倒者、即乙復〕、因斯而起。

(潘重規編著『敦煌変文集新書 下』1216頁)
 なんといっても、S525(スタイン525)写本にあるとされる「自爾已来、世間有行文書顛倒者、即乙復」の一文が興味深い。このとき以来、世間で文書(の文章)に顛倒をおこなうときには、「乙に即きて復る」、つまり「乙」の記号のところで上下かえるようにしているというわけです。
 句道興『捜神記』の成立時期がはっきりしないのが残念ですが、参考まで。