「子ども」「子供」について国会議事録を検索してみたよ(2)
「子ども」「子供」について国会議事録を検索してみたよ(1) - Cask Strength の続きですが、日付の範囲を広げて検索しますと、「子供」「子ども」表記の議論は、実は平成18年03月10日衆議院厚生労働委員会と平成22年05月20日衆議院青少年問題に関する特別委員会でも行なわれていることがわかります(見落としがあるかもしれませんが)。質問者はともに松浪健太衆議院議員(自由民主党)です。
あまり生産的な議論とは言えませんが、参考までに関連する発言を引用しておきます。その上で、いくつか簡単にコメントしたいと思います。
(平成18年03月10日衆議院厚生労働委員会)
○松浪(健太)委員 ありがとうございました。
私も、実は母親が大臣より一つ年上でございまして、大臣にとっては子供のようなものかもしれませんし、実は前回の選挙で落選後十日後に親になりまして、子を持つ一児の親でもございます。
そうした中で、私は、子供という言葉の表記の問題をちょっとここで取り上げたいと思います。
実は、今、子供という表記が、こどもの日、また今文部科学省の方で論議されます認定こども園、これは全部平仮名になっております。そしてまた、新聞等では割と子供というのは漢字にするようにというルールがあるわけでありますけれども、一般に厚生労働省が取り上げる場合、子ども応援プランとかそういう場合には、子供はまぜ書きになっているわけであります。
私は、子供はやはり、彼らは小さいけれども、本当に自立をした一個の人権として認めなければいけないと思います。そうしたときに、この子供のまぜ書きという問題ですが、私が子供のころから、この「子ども」のまぜ書きというのがございました。この「子ども」、私たち、実は子供心にどう思ったかといいますと、どうして「供」というのを学校で習っているのに平仮名にするんだろうかということを、我々非常に深く思ったわけであります。
この「子ども」という、「ども」を平仮名にするために合理的な説明がなされたことは、今までなかなかなかったのではないかと私は思います。実際問題、厚生労働省等に伺いましても、何かこの「供」というのは、お供の「供」だから、そういう意味で差別的なんだという感じで使うのを避けてきたという経緯があるというようなことを聞きましたけれども、それに対する正確な経緯というのはないのが事実でございます。
大臣は、「子ども」というこの表記についてはいかがお考えでしょうか。
(発言番号083)
○川崎国務大臣 今も御説明いただきましたけれども、百科事典でこんなことが書いてあるんですよ。
教育や福祉の世界では、要するに、「子供」と漢字の表現を避けて、「子」だけを漢字で書いて、「ども」は平仮名で表記が推奨されることが多い、その理由としては、子供の漢字の「供」の字は、お供え、すなわち子供が大人の附属物であることを連想させるため、また神にささげる供え物の意味につながるため、子供の「供」は当て字なので、漢字に意味なく平仮名にすべきだ、こんな議論もあったようです。こういう議論もある。
一方で、私は正直言って、ねんきん事業機構というのは自分でつけたものですから、何でこれは平仮名で書かないんだと、「こども」全部、こういう議論をしたんです。いろいろな考え方があるんだろうと思いますね。漢字で「子供」と書いた方がいい、私のように全部平仮名で「こども」と書けという人もいる。
そして、一般的な流れとして、これまで国会で御審議をいただき成立した法律はすべて、御指摘いただいたように、子供の「子」だけを漢字で書いて、「ども」は平仮名になっている。他の法律を見ますと、「こどもの日」、これは私の意見に合っているんですよ、平仮名で「こどもの祝日法」ということになります。
そういう意味では、いろいろなこういう議論をしていくことが大事だと思います。今のところは大勢としては、「子」と書いて「ども」は平仮名で書くというのが世の中の大勢にはなっておるようでございます。
(発言番号084)
「百科事典でこんなことが書いてある」、出典が明記されていません。大学のレポートなら落とされますね。
なお、川崎二郎大臣(当時)は「こども」表記、つまり全仮名化を唱道していたというのが面白い。
○松浪(健太)委員 大臣のお考えもよくわかるわけでありますけれども、今御説明にありました、「供」が供えるとかそうしたイメージがあるというのは、あくまで個人の主観の問題でございまして、皆さんのお手元に産経新聞の五月五日の記事があるかと思うんですけれども、そうしたものには根拠がないというのは、これでおわかりになっていただけるかと思います。
実際問題、民主党さんも今まさに子ども手当の法案を出していらっしゃるわけですから、ここでせっかくですから与党と違って見識をすぱっと見せていただければ、私はいいのではないかなと思うわけであります。
あと、私も、こうしたところに書いてはいないんですけれども、「子ども」というのは、これは日本の伝統的な言葉遣いにしましては、私も元新聞記者ですので、非常に違和感があります。
拉致というのは、「拉」は一時は平仮名で書かれていましたね、私が記者時代は。「拉」は常用漢字ではないから、拉致の「ら」は平仮名で、そして「致」だと。でも、「拉」という漢字は、てへんに立つぐらいはみんな読めるよと、ばかにされているような感じを大人も受けたわけであります。大人も受けたから、その拉致の「拉」、今皆さん新聞をお読みになって余り違和感は感じないと思います。常用漢字じゃないけれども、こんなばかにしたようなことはやめて使おうよということになっているわけであります。
そして、もう一点だけ申し上げますと、「子ども」というのは、「ども」というのは複数形であります。複数形でありますから、女に「ども」をつけたら「女ども」、余りいい響きはいたしません。そういうふうに見ますと、やはり「子ども」の表記、私は考え直していただきたいと思います。
まさに子供というのは自立した存在として、やはり彼らに合理的な説明を、学校でも、こんなどうしてばらばらなんだと聞かれて先生が困るようでは、私はやはり先生にとってもよくないことであると思いますので、これは政府一体となって、また文部科学省の所管のところで、私もお話をさせていただきたいと思います。まさに子供の問題で長くお話をして恐縮です。
(以下略)
(発言番号085)
私見ですけど、「こども」のような和語と「拉致」のような漢語とでは分けて論じるべきではないかと思います。たとえば、「ら致」や「障がい」は具合が悪いというのは納得できる話。
また、「ども」が複数を表わす接尾語であるというのは、元来はその通りなのですが、「こども」で単数を表わす用法が古くから生じているわけですから、複数形という点をとりあげるのはあまり意味がないでしょう。
「ども」に「余りいい響きはいたしません」ということに関しては、森昇一氏「接尾語タチ・ドモ・ラ」(國學院大學国語研究会『国語研究』16号、1963年8月)を参照。
(平成22年05月20日衆議院青少年問題に関する特別委員会)
○松浪委員 おはようございます。自由民主党の松浪健太であります。
青少年特委理事をいたしておりますけれども、やっと質問の機会が回ってまいりました。福島大臣、そしてまた私と同じ名前の健太政務官、またよろしくお願いいたします。
この青少年特委、内閣府が所管ということでありまして、子どもの問題というのは縦割りであってはならない、そういった意味で、民主党さんも子ども省というようなこともおっしゃっているので、非常に重要だと思います。
こうした大きな施策をやる前に、最近は、政治家は漢字が読めないと問題になったりするわけですけれども、民主党さんは今、子ども手当をやっておられるんですけれども、「子ども」の「ども」というのは、どう考えても、もともとは常用漢字なんですけれども、どうして平仮名なんですかね。こういうことをなかなか普通は考えない。
この間、ちょうど厚生労働委員会で、我が党の馳委員が、障害者の「害」の字はこういうふうに変えていくべきじゃないかという一方で、子供の「供」というのは常用漢字ですよね。最近は新聞なんかでも、拉致の「拉」というのは常用漢字じゃないんだけれども、やはりまぜ書きというのは不自然だな、拉致の「拉」ぐらい読めるだろうと。てへんに立つですからね。
そういうわけですけれども、これは大臣、全然お答えいただかなくていいんですけれども、「子ども」の「ども」はどうして平仮名だと思いますか、通告していませんけれども。
(発言番号005)
どうでもいいのですが、「全然お答えいただかなくていいんですけれども」ならば時間の無駄ではないでしょうか・・・有意義な国会論戦を切に希望いたします。
○福島国務大臣 御質問ありがとうございます。
このことについて物すごく真剣に考えたわけではないんですが、子どもの問題に取り組む人たちが、「ども」という字をにんべんの「供」ではなくて平仮名にするようになったということを聞いたことがあります。それは、「供」というのが、供するという意味なのかどうなのか、その意味よりは「子」で平仮名の「ども」の方がいいということだと思いますが、私自身も、子どもの権利に関する条約は、今も「子ども」というのは「供」という字を基本的には使っておりませんので、それは、済みません、ちょっと明快に答えることができないんですが。
(発言番号006)
どうでもいいチャチャを入れますが「物すごく」という書き方は(ry
○泉大臣政務官 これは広辞苑を見るのが一番確実なのかもしれませんが、一般的に、つき従っていく人のことを「供」と書くということでありますので、従属関係ということが明確になってくるということがありますので、子どもの権利条約に伴って対等な存在として認めていこうという流れの中で、そこが多少ふさわしくないんじゃないかという意見だというふうに思っています。
(発言番号007)
質問の通告がなかったわけですから大臣も政務官も困ったでしょうけど、気になるのは「子供」といった場合の「供」は単なる宛て字の一種ではないかという議論が出てこないのはなぜでしょう。
○松浪委員 お二人から完璧な答弁をいただきました。そういいますのも、皆さんお考えになったか、もしかしたら園田先生は、私が昔厚生労働委員会でした質問を覚えていらっしゃるかもしれません。
これはまさに、お二人がおっしゃったように、そのような感覚があるから平仮名にしているわけですけれども、「供」というのは人とともにあるということで、もともとはそういう使役の関係ではなくて、古来、使役される子どもは「わらし」という言葉があったようで、それが使役される子どもを指したそうでありまして、子供の「供」に、供されるとかいうことではなくて、逆に、人とともにあるというようないい意味もあるということです。
ただ、どうして常用漢字をわざわざ平仮名で使っているのかということでありますけれども、これはまさに、おっしゃったように、ある種の人たちが、子どもを供するのはけしからぬとか、それにいわれのないことを言われて、行政の側がたじろいで、結局平仮名にした。何かこんなあやふやなことで常用漢字使わぬでいいのかなと。やはり、ある種の、本当に正しい意見が通っていればいいんですけれども、我々子どもを扱う委員会ですら「ども」と平仮名で書いているということに私は違和感を感じますし、そうなった経緯というのは必ずしも正しいことではないんじゃないかなと思うわけであります。
(以下略)
(発言番号008)
「わらし」は多分方言でして「わらべ」(わらはべ)かな、普通は。
それにしても、会議録に記録されている部分からすると、実際に「『子供』という表記はけしからんから『子ども』にすべきだ」という議論が行なわれたかどうかはわかりませんでした。どこかの審議会であったのでしょうか。