「木犀の花を米の粉に混ぜて作った蒸物」

 金木犀の香りが近所にふわっと漂っていたので見てみたらもうだいぶ咲いていたよ。

 すっかり秋ですね。
 木犀は我が日本の古典にはほとんど登場しない花です。漢籍に出てくる「桂」(諸説あり。さまざまな種の香木を幅広く指すようで、クスノキ科のシナモンも桂)が木犀であると知っていたならば話は別ですが。まあ、「かつら」と訓んでいたのですから怪しいものです。「香りがあまりしないのに変だな・・・」くらいには思っていたのかも。
 大伴池主の書簡の七言詩に、

雲罍酌桂三清湛、羽爵催人九曲流

(『万葉集』巻十七)とある「桂を酌む」というのは桂で香り付けした酒ですが、池主本人は実物を呑んだことがあるのでしょうか。それとも、文字の上だけで知っていたものでしょうか、私と同じように。
 青木正児のエッセイ「夜裏香の花」(『琴棊書画』所収)では、木犀の花を用いたおいしそうな蒸し物が登場します。この口吻からすると青木も口にしたことはないようだ。

粧飾に濃厚なのや清楚なのがあると同様に、香料の使い方にも大約この二種があるようである。右に掲げたのは濃厚な方で、これが普通であるが、清楚なものになると新鮮な花や葉などの香を移す法が多く行われている。南宋の風流人林洪の『山家清供』には往々この方面の妙趣を発揮してある。例えば、梅花や茶蘼花【薔薇に似た花】を粥に入れて煮たり、松の花粉を入れて餅を作ったり、木犀の花を米の粉に混ぜて作った蒸物もあり、蓮房【蓮の実を包んでいる殻】と橘の葉とを搗いた汁を米の粉に混ぜ蜜で味を付けた団子を橘の葉にはさんで蒸したものなどは、ちょっと真似てみたい気がする。

平凡社東洋文庫、197〜198頁)