桜に幕(2)
桜の短冊には「みよしの」とあり、これは奈良県吉野川流域の地名「吉野」の美称です。そして、吉野といえば、
さくらは吉野に名たかく、よしのは桜にて名を挙げたり。麓より奥の院まで、左右の山々、前後の谷々、ただ雲を攀上り、ただ雲をくだるが如し。海道の吹だめには、落花の波を揚、木の間の嵐は、寒からぬ雪をふらす。麓をはやく、奥はをそし。開落、山の浅深によれり。春、此山に上り、いづれか花の盛ならぬ所はあらじ。
(『風俗文選』巻二「芳野賦」)という桜の名所。
すでに『古今集』仮名序に、
秋の夕、龍田川に流るる紅葉をば帝の御目には錦と見給ひ、春の朝、吉野の山の桜は、人麿が心には雲かとのみなむ覚えける。
と現われていますが、万葉集には吉野と桜の結びつきはまだ見られず、平安時代に入っても吉野はむしろ雪の名所として知られていました。「さくらは吉野に名たかく、よしのは桜にて名を挙げたり」とて、吉野の桜が盛んに詠まれるようになるのは、実は平安時代後期以降です。
特に、「此所は心もとまりて覚侍しままに、三とせを過し侍りき」(『撰集抄』巻七「吉野庵室」)と、吉野山に心ひかれて当地で三年過ごしたと伝えられる西行には吉野の桜を詠んだ名歌が多いように感じます。