『万葉集全解』

万葉集全解〈1〉巻第一、巻第二、巻第三

万葉集全解〈1〉巻第一、巻第二、巻第三

万葉集全解〈2〉巻第四、巻第五、巻第六

万葉集全解〈2〉巻第四、巻第五、巻第六

万葉集全解〈3〉巻第七、巻第八、巻第九

万葉集全解〈3〉巻第七、巻第八、巻第九

 刊行中の『万葉集』全体の個人注釈は、稲岡耕二氏の和歌文学大系(明治書院)、阿蘇瑞枝氏の『萬葉集全歌講義』(笠間書院)とこれとで三種。これを機に万葉歌を再勉強したいと思います。

「表現のしくみを鮮明にしていく」

 表現論の立場から和歌を読み解いていくという姿勢が『万葉集全解1』あとがきで強調されており、本シリーズには随処にそれを考えるきっかけとなる注釈が見られます。
 「恋しけば 形見にせむと 我が屋戸に 植ゑし藤波 今咲きにけり」(巻8・一四七一)

恋しけば―「恋しけ」は、「恋し」の未然形。対象はホトトギス。……恋の対象が人なら、「形見」はその人が植えるのが常。……直接指示する言葉はないが、配列から「霍公鳥」を歌ったと見るべき。

(『万葉集全解3』、211〜212頁)
 この一四七一歌の前後は全てホトトギスの歌なので、「恋しい」相手は人間ではなくて(歌には表面上は出てこないけど)ホトトギスだろう、というのは契沖あたりが言ったことなのですが(『契沖全集 第四巻』、62頁)、これを採用する注釈は近代以降にはなかった。「恋の対象が人なら、「形見」はその人が植えるのが常」というのは、契沖説をリバイバルさせる有力な根拠になるかもしれません。古い注釈の再評価というのが最近の流行のようですが、それはそうと、勉強の入り口は至るところにあります。
 また、「『万葉集』は、敬語を意識的に使用しているから、敬語のありかたが明瞭になるよう心がけた」(あとがき)というのも重要です。
 「秋山の 黄葉あはれび うらぶれて 入りにし妹は 待てど来まさず」(巻7・一四〇九)妻に対する挽歌。

訳 秋山の黄葉の魅力にすっかり感じ入り、魂を奪われて正体もなく入り込んでしまった妻は、いくら待っても戻っておいでにならない。

(『万葉集全解3』、172頁)
 「来まさず」は敬語です。ほかの注釈書ではこの部分の現代語訳として「帰って来ない」などとすることが多いのですが、多田氏のおっしゃる通り、それでは済まないでしょう。死んだ妻に対しては歌ではそのように敬って言う、ということをごまかさないとすれば「戻っておいでにならない」という現代語訳は万葉集の表現に忠実です。

余談

 「当初は文庫本にする計画だったので、記述もできるだけ簡略にと考えていた」(あとがき)とのこと。重要なところはもっと詳しく述べてもらえれば、と思います。
 たとえば、歌の引用は省略しますが、「天皇内大臣藤原朝臣に詔して、春山の万花の艶ひと秋山の千葉の彩りとを競ひ憐れびしめたまひし時に、額田王の歌をもちて判れる歌」(巻1・一六)。
 春と秋のどちらが優れているかを判定させた、という有名な歌なのですが、春秋の優劣を競うことは外来文化を取り入れたものだというのが通説でした。たしかに、そのような文学的な遊びが日本で自然発生したわけではないだろうと直感的には思います。しかし、これについては昔悩んだことがあって、というのも、春と秋を競わせるような例が、実は大陸ではあまり見つからないのです。
 困ったな、と思っていたら、最新の注釈の一つである新日本古典文学大系岩波書店)に、

一方、中国の詩文には、春秋二季の優劣を問おうとした例は古くは見られない。

(『萬葉集 一』、66頁)
とあって、我が意を得たというか不安が解消されて思わず膝を打ったことがまだ記憶に新しいのですが、今回、『万葉集全解1』に、

春秋優劣の争い―漢籍の世界に例が多い。

(31頁)
というので、また少し心配になるわけです。歌の表現とは別に、こういう重要な事柄に関しては、やはり例示を要するのではないでしょうか。

蛇足

雨障み―異界である天から降る雨にはつよい呪力が宿るとされ、雨に濡れることは禁忌とされた。

(『万葉集全解2』、34頁)

闇ならば―原文「闇夜有者」。男の通いは月夜に限られた。

(『万葉集全解3』、199頁)
 雨夜の外出はタブーとされ、男が女のもとに行くのは月夜のときだけ、という説は、工藤力男氏「〈月夜の逢会・雨夜の禁忌〉考」(『萬葉集校注拾遺』笠間書院)によって痛烈に批判され、決着がついていることのようにも思うのですが、どうなのでしょう。